装飾としての記念押印のあけぼの
1900年(明33)10月1日から外国宛私製はがきの使用が認められるようになり、これ以後、菊4銭切手1枚貼りの絵はがきが大量に海外に送られるようになりました。横浜、神戸、長崎では外国人商人・旅行者も多かったので、彼らが故国に書き送ったものが豊富に残されています。
彼らはまた絵はがき面に切手を貼り、今で言う引受消印の習慣も持ち込みました。今回ご紹介するのはそれがさらに”進化”し、異国の旅行情緒を演出するために”切手貼り+記念押印”を行った例です。2枚とも宛先面は無記入の未使用状態です。実逓使用されたものではないことは明らかです。
これらはかなり残されているようですけれど、郵趣でも絵はがきの分野でもさほどきちんと取り扱われていないようです。ちょうど両趣味の狭間に位置しているアイテムだからでしょう。
▼HAKODATE 1909.7.24 (函館)
1/2銭 (5厘) は当時の最低額面券種です。郵便料金を満たしていませんのでこれ単体で実逓されたものでないことは明らかです。絵はがきの写真は「函館蓬莱町の景」とあり、今で言うところのマッチングを意図した記念押印だと思われます。
なお、当時は厳密な押印規程はなかったので、単に一番安い額面切手をチョイスしたものと思われます。今ならさしずめ1円前島密切手への記念押印に相当するものでしょう。
▼NAGASAKI 1909.9.10 (長崎)
プロパーの郵趣家なら一瞥しただけで消印がニセモノだとおわかりかと思います。絵はがき業者か、あるいは写真の舞台の茂木ホテルが見よう見まねで長崎郵便局の櫛型欧文印らしきハンコを私製したものでしょう。
また、この頃は既に菊切手の時代です。こうしたフェイク物もたいてい菊切手ばかりなので、一時代前の新小判15銭切手を貼っているアイテムを拾いました。よく見ると、偽欧文印の下に茶色い丸一印が押されているのがわかりますね。装飾目的以外の動機はありえません。
勘の良い方ならピンとくると思います。はい、マキシマムカードの発祥と何らかの関係があるのではないかという想像です。ものの本によると、マキシマムカードという概念とコレクターが定着しだしたのは1930年代とあります。郵趣が先か絵はがきが先かはわかりませんが、これらが作用していることはまず間違いないと思います。
ただし、私はこれらを趣味品としてではなくMail & Postal Artの「アート作品」としての視点から俯瞰しています。来年2月早々、Mail & Postal Artのアルバムリーフ作品を製作・公開する予定なのでお楽しみに!。
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