山口県

May 08, 2019

徳仁、令和、弥栄

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 私、椙山オリジナルの令和改元ミッションが今日完結しました。ファンタスティック・スタンプクラブ(FSC)会員さんにはもれなくこのカードが届きます。到着まで少々お待ちください。切手と消印の組み合わせの意味は以下の通りです。

(1)平成最後の特殊切手「ハッピーグリーティング62円切手に平成最後の営業日。山口・徳佐31.4.26 12−18。

(2)慶事用62円切手に令和最初の営業日。防府仁井令1.5.7 8–12。

(3)令和最初の特殊切手グリーティング(シンプル)82円切手に山口・美和局の風景印。美和 1.5.8。

<コンセプト>
徳佐と仁井令で「徳仁」
仁井令と美和で「令和」
美和局の風景印に描かれているのは「弥栄」大橋

 「令」の字を含む郵便局は、現時点では防府仁井令局ただ1局のみなので山口県内郵便局だけで、と言うより山口県内郵便局でしか作成・完結できない記念カードです。

[ご案内]
 かねてよりご案内していますように、ファンタスティック・スタンプクラブ(FSC)に入会していただきますと、時折このような記念カード類が私椙山の気まぐれで送られてきます。
 facebook内に会員限定の会議室を設けており、一般公開に先立って有益な情報をアップロードしているほか、会員同士による有益な情報交換の場としてすでに積極運用されています。令和改元時の記念カバー作成のアイデア、ヒントも多数寄せられていました。
 誰が読んでいるかわからないHYPER Philatelistブログには書けないことも多々ありますので、ぜひFSCにご入会ください。まずfacebookのアカウントを取り、椙山哲太郎あてにお友だち申請と同時に入会希望のメッセージを送ってください。折り返し詳細をご返事します。

 年会費は8,000円ですが公益財団法人日本郵趣協会の普通会員以上の方は全額免除します。ただし、WEB会員は対象外です。

 

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April 10, 2019

これこそが現在の郵便のリアル

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 下関市立美術館友の会から年間スケジュール表が送られてきました。すぐに配達された今日の日付と重さ「20190410(38g)」と封筒に裏書きしました。そして郵趣データベースに情報入力し、郵趣ダイアリーファイルに収納しました。なぜなら、これこそが現在の郵便のリアルだからです。

 長3の定形封筒なのにゆうメールです。その時点でピンとくるでしょう、定形普通郵便の重量便92円で送った方が安いのではないかと。自分、わざわざ聞きました、下美さんに(笑)。特約ゆうメールなのでそれよりももっと安いのだそうです。この事実をどのように理解しますか?。

 切手貼りの郵便物が、全郵便物量の1パーセント以下にまで激減した今、いつまでも切手貼りばかりを収集研究対象にしているのは時代遅れです。個人が差し出すふつうの信書が基本ではあるけれど現実的にはむしろ例外です。

 また、従来の伝統郵趣は郵便料金や消印、取り扱いが目当てであって内容物に興味があるのではないと、個人情報保護問題をかわす口実にしてきました。今はそれも逆転し、内容物こそが最も意味があります。本例で言うと友の会メンバーに送るスケジュール表という内容物だからこそ特約ゆうメールという送達手段が選ばれたのです。これが例えば作家さんへのお礼状だったらゆうメールにはなりえません。

 私もプロパーの郵趣家なので、切手が貼ってあって消印がばっちり押されているものが大好きです。しかし、私が言いたいのは、だからといってスタンプレスに全く無関心でゴミ扱いというのはおかしいし極端すぎます。スタンプレスに意味があるのかどうか現時点ではわかりませんが、わからないからこそ集めるのです。それが収集本来の姿のはずです。

 それでもなおスタンプレスに愛着が持てない方がほとんどでしょう。でしたらそれらは私にください。鉛筆でいいですから到着日を裏書きしておくことをどうかお忘れなく。

 

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April 08, 2019

切手趣味週間・切手展のご案内

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 防府市在住の桑木正道さんがこの19日から30日までの2週間にわたって2つの切手展示を同時に開催されます。お近くの方はぜひお立ち寄りください。

テーマ:祝・東京2020オリンピック・パラリンピックの開催によせて
    第一回東京大会の思い出
ところ:ルルサス地域活動支援センター(JR防府駅天神口)
と き:2019年4月19日(金)~4月30日(火)
みどころ:いよいよ来年にオリンピック・パラリンピックの開催が迫り盛り上がってきました。これにちなんでの切手展です。
 オリンピック関連の切手は、夏季大会を主体に現在数万枚も発行されています。かつては開催国のみが発行していましたが、第二次世界大戦後は次第に発行国が増加し、1964年の東京大会では大会に参加しない国までが記念切手を発行しています。
 1896年にギリシャが発行した第1回アテネ大会記念切手を含め、東京大会での日本、世界のオリンピック切手を展示します。

テーマ:平成から令和へ・改元記念・皇室切手
ところ:防府郵便局お客さまロビー
と き:2019年4月19日(金)~4月27日(土)
みどころ:4月30日、今上天皇の生前御譲位により平成が終わりを告げます。そして翌5月1日には、皇太子徳仁親王殿下が新天皇に即位され、元号も変わることになりました。この記念すべき時に、改めて皇室の歴史を振り返る切手コレクションの展示です。日本最初の記念切手である「明治銀婚記念」(明治27年3月発行)から現代までの皇室に関連する切手、はがき、封書などを展示します。

※切手趣味週間に合わせて防府市内の郵便局で日本郵趣協会防府支部員によるミニ切手展も同時開催されています。

主催者:桑木正道(公益財団法人日本郵趣協会正会員)
連絡先:電話0835-24-2925

(お断り)防府郵便局は4月28日(日)から5月6日(月)までお休みですのでご注意ください。また、当記事の図版は切手展の趣旨に合わせて椙山のコレクションからピックアップしたものですので、これが実際に展示されるという意味ではありません。

 

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April 06, 2019

父を送る

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 第1回フリースタイル切手展2019の受賞結果が発表になりました。出品作品「父を送る」は、幸いにも選考委員賞をいただきました。どうもありがとうございました。

 なお、リーフ作品の体裁を採ってはいますが、郵趣作品ではなくアート作品となることを目指して作りました。これは私自身の興味の対象が郵趣の枠組みを超え、アートの領域にまで歩みを進めたいと考えるようになったことによります。これからもMail & Postal Artに比重を置いた収集・研究・作品製作をするつもりです。どうぞ会場でご高覧ください。併せて亡父への供養となることを祈って。

平成31年4月6日 槇陶岳 記
注:槇陶岳(まき・とうがく)は椙山哲太郎のMail & Postal Artist活動用の名前です。

※審査発表後ならネット公開しても良いそうなので全15リーフをfacebook上にアップロードしました。ただし、プライバシーに関わるアイテムも多いため、公開設定を「友だちの友だち」までに制限しています。

 

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March 12, 2019

中国地方初の「はこぽす」を山口県庁に設置

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 通信文化新報の2019年3月11日配信号を見てビックリ!。去る2月19日に日本郵便と山口県が地域連携協定を締結し、これに合わせて中国地方初の「はこぽす」を山口県庁に設置とのこと。さすが業界紙トップの通信文化新報さんです。収集家目線の郵趣メディアではとてもここまでの情報収集は無理。年間購読させていただいている甲斐がありました!。

 急きょ予定を変更して11日の午後に行ってきました。山口県庁内郵便局の方に直接伺いましたら、設置は19日、実際の運用開始は翌20日からとのことでした。「中国地方で初の配備」というのが本件の最重要ポイントです。リアルタイムに取材・記録しておかないと容易に忘れられ、わからなくなりがちな対象だけに安堵しました。

 県庁厚生棟西口自動ドア前にあり、iPadで引きと接写の2タイプを撮影後すぐにセブンイレブンさんに飛び込んではがきプリント。その記念カードに県庁内郵便局で記念押印していただきました。

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 私あてにも不在郵便が来ましたら、はこぽすへの配達を依頼してみます。場所は県庁正面玄関から入って厚生棟の2階に上がります。その突き当たりを左に直進した先が西口です。風除室の外にあるので24時間いつでも利用できます。

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February 17, 2019

宅配業者→日本郵便の協業便

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 アオヤマスタンプさんから郵趣付属品を送っていただいた時の西濃運輸さんの送票カットです。ですが、実際の配達は日本郵便さんでした。

 伝票番号で検索結果(追跡記録)を確認していただければ簡単にわかります。西濃運輸で集荷し山口郵便局(地域区分郵便局)まで運ばれ、そこから先は日本郵便に配達を委託しています。送票にも赤いゆうパック用バーコードラベルが加貼されています。きちんと確認しないと捨ててしまいかねません。あぶない、あぶない。
 アオヤマさんにもお知らせしましたところ、やはり日本郵便に回されたことはご存知ありませんでした。また、私自身は佐川急便さんとの協業例を所持しているほか、ヤマト運輸さんもやっているとのこと。面白い時代になりましたね。スタンプレスだからと安易に軽視していては現代における郵便事業の実態が理解できません。
 facebookに設けたFSC会報(専用会議室)でこの件を取り上げましたところ、実に興味深い実態が寄せられました。その要約を以下ご紹介します。

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 宅配業者はB to B(企業から企業)の場合はほとんど自社で配送する。理由は簡単、配達先が企業なので不在になる可能性がないから=配送コストが低い。しかし、B to C(企業から個人宅)やC to C(個人から個人)の場合は配達先が個人宅のため不在が多い。つまり不在後の再配達等で配送コストが高くなってしまう。その結果、宅配業者による「引受はやるけど配達は郵便局へ丸投げ」が生じる。それだけなら”優れた経営判断”と言えよう。

 ところが、宅配業者の郵便局への丸投げは、一般に知られていないだけで実はバブル時代から日常茶飯事。しかも配達しきれないと判った夕方頃に郵便局に持ち込む例も。結果、配達が1日遅れたと怒られるのは日本郵便の方。
 一番ひどかったのは自社は正月三が日は配達しないはずなのに大晦日に大量引受けてそのまま郵便局へ丸投げ。しかも「お前ら俺達のお陰で儲かっていいよな」と威張っていた。
 宅配業者の中には「配送センターでの受取は拒否」しているところも多い。理由は自分たちの仕事のペースが乱されるから(らしい)。
 宅配業者の悪いところは「どうせ俺は長く勤めないから責任は取らない。後は野となれ山となれ」という社風が蔓延していること。

 郵便局の場合、再配達の他に郵便局での受取や勤務先配達(無料)が選べるので配達先にとっても便利。多少高くても日本郵便を選ぶという荷主が少なくないのも、臨機応変な制度と現場配達員の質が断然優秀だから。

ーーー↑ーーー

 アオヤマスタンプさんは親切心で”不在が多いのでTELして配達をおすすめ”と付記してくださいましたけれど、西濃さんからも日本郵便さんからも事前電話はありませんでした。ひょっとするとこの一文が日本郵便さんへの丸投げの直接原因になったのかも?(笑)。


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January 25, 2019

特養待機の順番のお知らせ

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 両親の介護関係書類を弟から引き取ってきました。すると面白い郵便使用例が出てきました。寝たきりで要介護5の母の件です。弟が特養の入居申し込みをしてくれたのですが、案の定すぐに入居はできず30番目でした。
 これをfacebookで愚痴ったら怒られました。神奈川県の某氏など300番だとか。そもそも桁が違うと。30番なんてずば抜けて早いらしい。ありゃま、そうなの?。山口郵便局(地域区分郵便局)の開局初年度のインクジェット式機械印使用例だとかうつつを抜かしている場合じゃなかった。
 あれから2年経ち今は3番になりました。母にとって快適な終の住処でありますように。


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January 12, 2019

硫酸瓶の歴史

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山陽小野田市歴史民俗資料館で始まった「企画展・硫酸瓶の歴史」を見てきました。ポスター写真に使われている茶色い硫酸瓶は、その名の通り硫酸を運搬するために作られた容器ですが、口部の作りが異なるだけで焼酎瓶、水瓶などの用途で山口県内ではごく普通に見られる生活用品です。うちも元は農家でしたから、かつては肥料入れなどに使っていました。

 後述しますが、山陽小野田市における焼き物の歴史は、現周南市の富田(とんだ)出身の甚吉(じんきち)が1840年(天保末年)に旦(だん)に来て窯を開いたのが始まりです。富田とはまさに私の本業会社のある旧新南陽市のその場所です。ひょんなことでそんな奇縁を知り、もう何年も前から関心を持っていました。

 その企画展があるというので開催初日に行ってきたわけです。まるで核シェルターかサイロを思わせるようなコンクリートの建物が山陽小野田市歴史民俗資料館です。

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 企画展は撮影禁止なので常設展のごく一部のみ写真に撮ってきました。読む方の理解が追従しないと思いますので以下、文字に書き起こしました。

[やきものの復活]
 須恵器(すえき)以後、久しく途絶えていたやきものが天保末年(1840年代)新南陽市富田出身の甚吉が、旦に来て窯を開きやきものの生産を復活した。のちに久野、姫井らが業をつぎ明治初年にかけて皿、鉢、片口、摺鉢等の日用雑器を生産し、旦の皿山(さらやま)とよばれた。
 その後製陶業は周辺に拡がり土管、れんが、瓦等に発展、さらに舎密(せいみ)会社(現日産化学)の創業により硫酸瓶、大正年間に焼酎瓶等を製造したが、容器の改変により衰えた。
 その甚吉の墓が下の写真です。安政5年(1858)没。墓は田平山墓地にある。

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 以上、ここまでが基礎知識部分です。これをなぜ郵趣ブログのHYPER Philatelistで扱うのか。それは明治の初め、硫酸の製造に印刷局が関係していたことも本展で紹介されていたからです。
 しかし、たいへん残念なことにメモを取るのは良いけれど、写真撮影は一律禁止のうえ図録・レジュメの類すら一切ないという厳しい状況でした。既に廃れてしまった遺物ですし、解説文も含めてとっくにパブリック・ドメインのはずなのですが・・・。
 ここで不満を書き連ねても仕方ないので、書き写してきた解説文と学芸員さんのお話を以下にまとめました。事情を斟酌していただき、私の書き取りや聞き間違い・解釈違いがあるかもしれませんのであらかじめお断りしておきます。ご心配の向きの方はご自身で本展をご参観ください。

[ごあいさつ]
 市内に点在する赤茶色に焼かれた陶製の瓶。本来の用途を終え、積み重ねて垣に利用されるなど道路や公園、軒先を飾るそれらは、明治時代にできた化学工場の製品のための容器として製造された陶製耐酸瓶であり、「硫酸瓶」と呼ばれていました。
 硫酸瓶は主に旦地区で製造されていました。旦地区は、良質な粘土が採れ、江戸時代に皿などの日用雑器を焼く窯が築かれたことから「皿山」と呼ばれていましたが、明治から昭和にかけては、硫酸・硝酸などの化学薬品を入れる耐酸瓶や形の似た焼酎瓶等を製造するようになり、最盛期には全国シェア70%とも言われる一大地場産業となりました。
 しかし、硫酸瓶の出荷で賑わった有帆川に架かる小野田橋のたもとには、大きな硫酸瓶のモニュメントがありますが、近年、その名前や用途、それらを製造していた窯が市内にいくつもあったことなどが忘れられつつあります。
 本企画展では、硫酸瓶の製造がなぜ本市の一大地場産業となったのか、その歴史を紹介し、これまで来館者の方々からいただいた「硫酸瓶って何?」という質問にお答することを目的とします。
平成31年1月 山陽小野田市歴史民俗資料館

[国産初の硫酸と硫酸瓶の製造]
 明治2年(1869)2月5日、明治政府は大阪に造幣局を設置した。貨幣鋳造には、古い貨幣や鉱山地金を分析、精製、洗浄するのに大量の硫酸を要したが、当時の日本は輸入に頼るほかなく、硝子瓶に入れてドイツより輸入していたため、硫酸は極めて高価な化学薬品であった。
 そこで、造幣局は硫酸を局内で製造するべく、イギリス人技師ローランド・フィンチを招いて、その指導の下に硫酸工場を建設。明治5年(1872)、日本で最初に硫酸の製造を開始した。
 局内で使用する硫酸は、硝子瓶に入れて運搬していたが、輸出するためには、その容器が問題になり、容器の製作を化学工業界の先覚者宇都宮三郎に委嘱した。宇都宮は京都の陶器師高山耕山に命じて土の配合、焼成の方法などを研究し、茶壺からヒントを得て、陶製耐酸瓶を作らせたが、清水焼では高価になるので信楽(滋賀県)で焼かせ、明治8年(1875)造幣局は信楽産の瓶を使用して清(中国)に輸出した。この瓶がどのようなものであったかは不明であるが、貨幣鋳造という国家事業により、国産の硫酸と硫酸瓶製造が始まったと言える。
 硫酸が輸出されるのを受け、民間で硫酸と硫酸瓶の製造が始まるが、その頃、小野田では日用陶器の製造が続いていた。
(椙山注:貨幣を作るのが造幣局、紙幣・切手・印紙・国債などを作るのが印刷局)

[民間初の硫酸と硫酸瓶の製造]
 明治12年(1879)5月、元造幣局長豊原百太郎が首唱者となり、大阪の実業家、光村弥兵衛(光出身)、藤田伝三郎(萩出身)、中野梧一(初代山口県令)その他が、資本金10万円の硫酸製造会社を組織し、工場を大阪市西成郡湊屋町に建設。翌13年4月から民間で初めて硫酸製造を開始した。硫酸瓶は信楽産(滋賀県)を使用していたが、大阪までの運搬が不便であったという。
 そこで、硫酸瓶の需要を見越した寺村富栄(滋賀県)らは陶器師高山耕山と諮り明治15年(1882)、大阪府西成郡湊屋新田に資本金1万円で硫酸瓶製造会社を設立した。明治16年(1883)、経営を硫酸製造会社に委託したが、明治21年(1888)、近代化建設が進む中、耐火煉瓦を製造する大阪窯業会社として更生、硫酸瓶の製造は明治26年(1893)まで続けた。
 明治22年(1889)7月6日、豊永長吉(元長府藩士)が発起人となり日本舎密製造株式会社が設立されると、明治24年(1891)、小野田工場で硫酸の製造を開始した。ドイツや信楽から瓶を取り寄せていたため、地元の製陶所に「ドイツ瓶」を見本に示し硫酸瓶の試作を依頼、明治26年(1893)硫酸瓶の製造に成功した。以降、明治中頃には小野田の硫酸瓶生産高が信楽を抜いたといわれている。

[造幣局、印刷局の関わり]
 以下は解説パネルの書き写しと学芸員さんの説明を記憶を辿って記します。時間軸の流れでは以下のようになります。

・明治2年(1869) 造幣局設置
・明治5年(1872) 日本で初めて硫酸を製造
・明治8年(1875) 清(中国)へ硫酸輸出
・明治16年(1883) 印刷局が造幣局を視察
・明治19年(1886) 印刷局王子製造所建設
・明治23年(1890) 御料局/佐渡支庁附属王子硫酸所が施設を引き継ぐ。
 工場設備はそのままで運用を任せた。今で言うとリースのようなもの。

 なぜ印刷局が硫酸を必要としていたかについては、学芸員さんのお話だと紙の漂白に使うさらし粉製造のためだったとのことです。
 そこで明治19年以後というと明治21-25年(1888-92)新小判切手が該当します。この時期から国産の漂白剤を使用開始していたということになります。
 しかし、明治13年には民間でも硫酸製造が始まっていますので、印刷局がいつまで自局製品を使い続けていたのかまでは不明です。漂白工程のみならず製紙そのものから小判切手収集家の皆さんの研究にお任せします。

・明治27年(1894) 日清戦争始まる
・明治28年(1895) 設備を陸軍省に譲渡

 以上で本展の解説は終わっています。

[皿山のはじまり]
 皿山とは、陶磁器生産の盛んな地域の呼び方で、「有田の皿山」など主に九州地方で使われる。
 小野田の皿山は、江戸時代の天保末年(1840年代)に富田(現周南市)で製陶にたずさわる家から旦の伊藤作右衛門宅に寄寓していた甚吉が、この地の土が焼き物に適していると語り、目出に移居していた萩藩士佐世彦七(前原一誠の実父)からの出資を受け、窯を築き、皿など日用雑器を焼いたのが始まりである。
 当時は、製品の販路も少なく盛況とは言えず、安政5年(1858)に甚吉が亡くなると、松本藤太郎が甚吉窯を経営するが長く続かず廃業した。その後、慶応2年(1866)久野彦左衛門、明治元年81868)姫井伊三郎、明治9年(1876)三好源之助などの製陶所の勃興が続いていった。
 明治24年(1891)日本舎密製造会社小野田工場ができると硫酸瓶の需要に応じ皿山は活気づき、加えて、焼酎瓶の需要もあったことから製陶所が増加し、まちの一大地場産業として栄えた。昭和26年(1951)には26製陶所を数えた。
 しかし、昭和30年代(1960年代)になりポリエチレン製容器の登場や、タンクローリーでの輸送が増えると、硫酸瓶の需要は無くなり、製陶所は徐々に姿を消していった。

※これ以上の詳細資料はFSC会報(facebook内の専用会議室)のみに掲載します。


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January 06, 2019

山口県立図書館初代館長・佐野友三郎

 1903年(明治36)7月、山口県立山口図書館が開館し初代館長に佐野友三郎(さの・ともさぶろう)が就任しました。図はその佐野氏の直筆サイン入り外信はがきです。内容はアメリカのプロビデンス公共図書館からの年次レポート受領に対する礼状です。消印は山口局の1912年(明治45)5月15日、翌日の神戸局中継印も押されています。

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 これはもう当該図書館に直接伺って確認するのがベスト。そこで昨年暮にリファレンスサービスを利用し、以下の2点を確認していただきました。
 まず、はがきに記されている年次レポートが現存しているかどうかです。残念ながら受け入れの記録そのものが確認できませんでした。明治末頃、佐野はみずから渡米して図書類を大量に購入していたそうです。その量があまりにも膨大だったので整理し切れていなかったのではないか?とのことでした(退職館員さんへの聞き取り調査結果)。
 次にこのサインは、例えば秘書さんのような方が代筆していた可能性もあります。佐野氏本人の真筆かどうかも確認したかったのですがこの点も不明でした。ただし、同館内にある山口県文書館には佐野の書簡が数点保管されていることを教えていただいたので、年が明けた本日1月6日(日)に伺ってきました。図は検索端末画面のキャプチャー画像です(許可を得て撮影しています)。

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 所蔵品はいずれも国内郵便物のみで表記はすべて日本語でした。ですので、厳密には真筆かどうかの筆跡照合ができなかったわけです。しかし、今後の発見・真筆確定の導きとなるよう、所有している2枚の外信はがきのうち1枚を寄贈してきました。図より1年前、1911年(明治44)の使用例です。私が個人で所有するより有意義であろうとの判断です。実物をご覧になりたい方は山口県文書館へどうぞ。

※差出から100年以上を経過している点に加え、内容そのものが公務であることから、本件はパブリック・ドメインと見なし、モザイク処理等の個人情報保護は致しません。


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January 01, 2019

年賀印の結果/山口・小郡、徳山、宇部

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 左図のお願いメモ紙をいちばん上に乗せた年賀状に輪ゴムを十文字にかけて100枚ずつ束ね、小郡、徳山、宇部各局の管内ポストに投函しました。結果はご覧の通りです。小郡は手押印、徳山は機械印です。残念ながらインクが薄すぎて読みにくい。宇部に至っては完全に無視されました。
 去年は小郡郵便局の窓口に持参し直接手渡しでお願いしました。そこまでしないと適当にやられてしまうのですね。

 お年玉付き年賀はがきへの年賀印押印は”省略できる”であって”押印できない”ではありません。これを押印禁止と誤解している局員さんが失礼ながら大多数のようです。
 郵便印がないのは差し出さないでうっちゃっておいたものと区別がつきません。郵便印あってこその年賀状と考えます。郵政民営化の際に一度は年賀状交換を辞退させて頂いた私ですが、父の死去を知らせる等の止むに止まれぬ事情があり、昨年から年賀状を復活させました。ですが、私個人は外国切手収集がメインですし、郵便印もない年賀はがきに手間暇とお金を使うのはアホらしいです。抽選のチェックをした後、郵便印のないものは捨てています。価値が感じられないからです。

 来年の新元号最初の年賀状は、山口県内の各取集め局にくまなく分散させて差し出してみます。年賀印押印の依頼書を添えて投函し、その印影が薄いなどの満足できないレベルだったり、あるいは今年の宇部局のように完全無視されるような、そんな不満足が50パーセントを超えるようなら、ふたたび年賀状交換をやめることにします。価値が感じられないからです。


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