日 時:3月13日(金) 21:00~22:00
テーマ:月刊誌「郵趣」3月号に関連したテーマで以下を予定しています。
・「外国切手最新事情」(スピーカー:椙山哲太郎)
・「日本切手の壺」+1解説(スピーカー:山口充さん)
※テーマ及びスピーカーは変更になることがあります。
公益財団法人日本郵趣協会の「郵趣イベント・カレンダー」記載の「接続先リンク情報」にアクセスしてください。開始5分くらい前で十分間に合います。
郵趣3月号の巻頭特集「”発光切手”を振り返る」は圧巻でしたね。特に5ページの7円切手4枚・15円4枚貼りの故高岸年夫氏あて定形外重量書留便は羨望の的です。
高岸氏は長年にわたって関門 (下関・門司) 地域の郵趣シーンを牽引されたリーダーでした。没後数年ののち、ご遺族の手によって大手オークションでコレクションが売り立てられました。やむを得ないこととはいえ、地元、下関~山口・福岡両県に受け継ぐ人はいなかったのかと悔やまれます。その当時、私も山口県を離れていたので偉そうなことは言えませんが、優れたコレクションはなるべく地元に残そう、引き継ぎたいと考えるようになりました。それが終活・物故郵趣家さんのコレクション引き取りと分配活動をするきっかけのひとつとなりました。

高岸氏と同じ下関つながりということで椙山家についてお話ししたいと思います。曽祖父の椙山伊三郎は明治の中頃、20~30年代にかけて下関郵便局に奉職していました。彼は訳あって逓信省官吏を辞し、近所の私塾で英語を学び、明治37年に渡米した日系移民1世でした。図は昭和16年頃、日系人に対する差別的管理強化がなされていた時期の外国人登録証のコピーです。仏壇の引き出しに仕舞ってあったもので原本は既にありません。ChatGPT先生の助けを借りで解読しました。

椙山家の家系図です (主要部分のみ)。伊三郎夫妻には子供がいなかったのでトミさんのいちばん下の弟を養子に迎えました。それが私の祖父「晃」です。生まれた段階ですぐに養子に出されたようですが誰も教えてくれなかったそうです。大学受験の際に初めて戸籍を見、自分の姓が徳永ではなく椙山になっていたので驚いたと話しておりました。つまり、生物学的にはこの時点で椙山家のDNAは途絶えていることになります。
その後、家付き娘だった母「芳子」が婿養子を取り、私と弟が生まれました。祖父・父と2代続けて男の側が苗字を変えていますが何の問題もありません。
また、かつては直系で3代以上続いた男子しか地域のお祭りに参加できないというド田舎ルールがありましたが、さすがにそれもなくなりました。それに従えば私と弟の2人しか参加資格がないことになってしまい、お祭り自体が成り立たなくなるからです。

昭和25 (1950) 年用に印刷されたアメリカのはがきです。差し出さなかった1枚が残されたおかげで当時の住所がはっきりわかります。また、椙山では読みにくかったからでしょう、仕事上では誰でも読み書きできる「杉山」を名乗っていたこともわかります。

昭和32 (1957) 年にトミさんが亡くなりました。在サンフランシスコ日本国総領事館に死亡届を郵送。それが無事に受理されたことを知らせるはがきです。
戦時中、全財産を没収され、日系人強制収容所のひとつ、アリゾナ州ヒラ収容所にぶち込まれたこともあり、帰化せずいずれ日本に戻ることを決意していたようです。
アメリカの国際往復はがきの返信部の実逓使用例です。これは少ないですよ。
トミさんの実家である徳永家の本家筋が槇家で、その頃には下関市菊川町に移っていたようです。トミさんが亡くなって約1年後の通信です。

トミさんの実姉 (11人兄弟姉妹のいちばん上) は防府市の板村家に嫁ぎ、すぐに夫婦揃って渡米し帰化しました。この義姉夫婦の存在が、伊三郎の渡米を決意させるに多大な影響を与えたものと思われます。
伊三郎夫妻には子供がいなかったので、甥姪への愛情も大きかったことでしょう。伊三郎が亡くなった後も昭和40年代くらいまでは手紙のやり取りがありましたけれど、昭和時代のうちに交流は途絶えました。今では4〜6世の時代でしょう。

唐突ですが、なぜかここでかつて大手町にあった逓信総合博物館で入手した最初の郵便切手類発売機「自働郵便切手葉書売下機」のパンフレット (表) のご紹介です。

同パンフレットの裏面です。ここに発明者の俵谷髙七の事績がまとめられています。

図版左は現在の下関南部町 (なべちょう) 郵便局前に設置されている髙七の顕彰碑の写真です。右側に表記を文字起こししました。
そうです、曽祖父伊三郎が奉職していたのと同じ時期に髙七もまた指物師として同局に出入りしていたのです。曽祖父と髙七は面識があったのではないかと想像をたくましくしていますが、残念ながらそれを示す痕跡は何もありません。
自分が郵趣データベースの構築に郵趣人生を賭けている一種の記録魔になったのは、そうしたご先祖さまたちの無念を託されているような心持ちがいたします。

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