
イイダバシくんがまたまた面白アイテム詰め合わせセットを送ってくれました。その中でも出色のカバーを2通ご披露します。"The Great Bitter Lake Locals"と呼ばれているものです。
1967年6月5日に起った中東戦争(六日間戦争)により、翌6日からスエズ運河が閉鎖されました。偶然航行中だった14隻の貨物船が、同運河の一部であるグレートビター湖に足止めを余儀なくされました。じきに砂漠の砂が甲板に降り積もったことから、この14隻は「黄色い船団」(The Yellow Fleet)と呼ばれました。
ところが停戦後にスエズ運河そのものが軍事境界線となったため、運河が再開される1975年まで約8年間閉じ込められる結果となってしまいました。その間にクルーによってさまざまなカバー類が製作されました。
上掲はそのひとつ、チェコスロバキア(当時)のM/S LEDNICE号の証示印押しカバーです。郵便切手を模したラベルはゴム板を手彫りしたハンコを押した紙片で、さながらイモ判の様相を呈しています。粗末な作りですが、この風合いにこそ味があるとわかる感性が郵趣家には必要でしょうね。船長の直筆サインがあり、郵便物を引き継いで航行したと言われるM/S LEDMELAGA号の証示印も左上に押されています。日付が1974.6.6とあることから、閉じ込められてから7周年を意図したものでしょう。
そして1975年に講和が成り、14隻のうち自力航行できた西ドイツ(当時)の2艦M/S Münsterland号とM/S Nordwind号が5月24日にハンブルグに帰港しました。その時の記念印が押された記念カバー(はがき)が下図です。帰還時には3万人もの大歓迎を受けたそうです。

この当時(1975年)、私はやっと切手収集を始めたばかりの中学生で、グレートビター湖におけるこれらローカル郵便に関する記憶はまったくありません。仮に見聞きしたところでまず理解はできなかったでしょう。しかし、長じて後も郵趣雑誌類でこれらの記事を読んだ記憶もなく、日本の郵趣メディアはこれらを報道しなかったのではありませんか?。足止めを食らった14隻の中にたまたま日本の船が含まれていなかったせいもあって関心がないに等しく、そんな遠いスエズ運河の地域紛争よりも、日本国内の沖縄切手投機騒動でそれどころではなかったのかもしれません。往時をご記憶の方、どうかコメント欄で委細をご教示ください。
しかし、西欧人はこういう時にすぐに記念カバーとかハンコとか作りますなあ。もちろん、その売り上げ程度では対して大きな商売にはならないでしょうが、そういうフィラテリック・アイテムを作る行為自体に意味があるかのようです。坂東収容所切手然り、ボルデンブルグ捕虜収容所切手もまた然り・・・・・・これも郵趣文化の一側面なのでしょう。
なお、留め置かれた14隻は以下の通りです。
・MS Nordwind (West Germany)
・MS Münsterland (West Germany)
・MS Killara (Sweden)
・MS Nippon (Sweden)←え?、ニッポン号っすか?!
・MS Essayons, ex Sindh (Norway)
・MS Agapenor (UK)
・MS Melampus (UK)
・MS Scottish Star (UK)
・MS Port Invercargill (UK)
・SS African Glen (USA)
・MS Djakarta (Poland)
・MS Boleslaw Bierut (Poland)
・MS Vassil Levsky (Bulgaria)
・MS Lednice (Czechoslovakia)
(出典・参考/The Great Bitter Lake Locals)
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