鹿児島県

January 12, 2019

硫酸瓶の歴史

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山陽小野田市歴史民俗資料館で始まった「企画展・硫酸瓶の歴史」を見てきました。ポスター写真に使われている茶色い硫酸瓶は、その名の通り硫酸を運搬するために作られた容器ですが、口部の作りが異なるだけで焼酎瓶、水瓶などの用途で山口県内ではごく普通に見られる生活用品です。うちも元は農家でしたから、かつては肥料入れなどに使っていました。

 後述しますが、山陽小野田市における焼き物の歴史は、現周南市の富田(とんだ)出身の甚吉(じんきち)が1840年(天保末年)に旦(だん)に来て窯を開いたのが始まりです。富田とはまさに私の本業会社のある旧新南陽市のその場所です。ひょんなことでそんな奇縁を知り、もう何年も前から関心を持っていました。

 その企画展があるというので開催初日に行ってきたわけです。まるで核シェルターかサイロを思わせるようなコンクリートの建物が山陽小野田市歴史民俗資料館です。

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 企画展は撮影禁止なので常設展のごく一部のみ写真に撮ってきました。読む方の理解が追従しないと思いますので以下、文字に書き起こしました。

[やきものの復活]
 須恵器(すえき)以後、久しく途絶えていたやきものが天保末年(1840年代)新南陽市富田出身の甚吉が、旦に来て窯を開きやきものの生産を復活した。のちに久野、姫井らが業をつぎ明治初年にかけて皿、鉢、片口、摺鉢等の日用雑器を生産し、旦の皿山(さらやま)とよばれた。
 その後製陶業は周辺に拡がり土管、れんが、瓦等に発展、さらに舎密(せいみ)会社(現日産化学)の創業により硫酸瓶、大正年間に焼酎瓶等を製造したが、容器の改変により衰えた。
 その甚吉の墓が下の写真です。安政5年(1858)没。墓は田平山墓地にある。

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 以上、ここまでが基礎知識部分です。これをなぜ郵趣ブログのHYPER Philatelistで扱うのか。それは明治の初め、硫酸の製造に印刷局が関係していたことも本展で紹介されていたからです。
 しかし、たいへん残念なことにメモを取るのは良いけれど、写真撮影は一律禁止のうえ図録・レジュメの類すら一切ないという厳しい状況でした。既に廃れてしまった遺物ですし、解説文も含めてとっくにパブリック・ドメインのはずなのですが・・・。
 ここで不満を書き連ねても仕方ないので、書き写してきた解説文と学芸員さんのお話を以下にまとめました。事情を斟酌していただき、私の書き取りや聞き間違い・解釈違いがあるかもしれませんのであらかじめお断りしておきます。ご心配の向きの方はご自身で本展をご参観ください。

[ごあいさつ]
 市内に点在する赤茶色に焼かれた陶製の瓶。本来の用途を終え、積み重ねて垣に利用されるなど道路や公園、軒先を飾るそれらは、明治時代にできた化学工場の製品のための容器として製造された陶製耐酸瓶であり、「硫酸瓶」と呼ばれていました。
 硫酸瓶は主に旦地区で製造されていました。旦地区は、良質な粘土が採れ、江戸時代に皿などの日用雑器を焼く窯が築かれたことから「皿山」と呼ばれていましたが、明治から昭和にかけては、硫酸・硝酸などの化学薬品を入れる耐酸瓶や形の似た焼酎瓶等を製造するようになり、最盛期には全国シェア70%とも言われる一大地場産業となりました。
 しかし、硫酸瓶の出荷で賑わった有帆川に架かる小野田橋のたもとには、大きな硫酸瓶のモニュメントがありますが、近年、その名前や用途、それらを製造していた窯が市内にいくつもあったことなどが忘れられつつあります。
 本企画展では、硫酸瓶の製造がなぜ本市の一大地場産業となったのか、その歴史を紹介し、これまで来館者の方々からいただいた「硫酸瓶って何?」という質問にお答することを目的とします。
平成31年1月 山陽小野田市歴史民俗資料館

[国産初の硫酸と硫酸瓶の製造]
 明治2年(1869)2月5日、明治政府は大阪に造幣局を設置した。貨幣鋳造には、古い貨幣や鉱山地金を分析、精製、洗浄するのに大量の硫酸を要したが、当時の日本は輸入に頼るほかなく、硝子瓶に入れてドイツより輸入していたため、硫酸は極めて高価な化学薬品であった。
 そこで、造幣局は硫酸を局内で製造するべく、イギリス人技師ローランド・フィンチを招いて、その指導の下に硫酸工場を建設。明治5年(1872)、日本で最初に硫酸の製造を開始した。
 局内で使用する硫酸は、硝子瓶に入れて運搬していたが、輸出するためには、その容器が問題になり、容器の製作を化学工業界の先覚者宇都宮三郎に委嘱した。宇都宮は京都の陶器師高山耕山に命じて土の配合、焼成の方法などを研究し、茶壺からヒントを得て、陶製耐酸瓶を作らせたが、清水焼では高価になるので信楽(滋賀県)で焼かせ、明治8年(1875)造幣局は信楽産の瓶を使用して清(中国)に輸出した。この瓶がどのようなものであったかは不明であるが、貨幣鋳造という国家事業により、国産の硫酸と硫酸瓶製造が始まったと言える。
 硫酸が輸出されるのを受け、民間で硫酸と硫酸瓶の製造が始まるが、その頃、小野田では日用陶器の製造が続いていた。
(椙山注:貨幣を作るのが造幣局、紙幣・切手・印紙・国債などを作るのが印刷局)

[民間初の硫酸と硫酸瓶の製造]
 明治12年(1879)5月、元造幣局長豊原百太郎が首唱者となり、大阪の実業家、光村弥兵衛(光出身)、藤田伝三郎(萩出身)、中野梧一(初代山口県令)その他が、資本金10万円の硫酸製造会社を組織し、工場を大阪市西成郡湊屋町に建設。翌13年4月から民間で初めて硫酸製造を開始した。硫酸瓶は信楽産(滋賀県)を使用していたが、大阪までの運搬が不便であったという。
 そこで、硫酸瓶の需要を見越した寺村富栄(滋賀県)らは陶器師高山耕山と諮り明治15年(1882)、大阪府西成郡湊屋新田に資本金1万円で硫酸瓶製造会社を設立した。明治16年(1883)、経営を硫酸製造会社に委託したが、明治21年(1888)、近代化建設が進む中、耐火煉瓦を製造する大阪窯業会社として更生、硫酸瓶の製造は明治26年(1893)まで続けた。
 明治22年(1889)7月6日、豊永長吉(元長府藩士)が発起人となり日本舎密製造株式会社が設立されると、明治24年(1891)、小野田工場で硫酸の製造を開始した。ドイツや信楽から瓶を取り寄せていたため、地元の製陶所に「ドイツ瓶」を見本に示し硫酸瓶の試作を依頼、明治26年(1893)硫酸瓶の製造に成功した。以降、明治中頃には小野田の硫酸瓶生産高が信楽を抜いたといわれている。

[造幣局、印刷局の関わり]
 以下は解説パネルの書き写しと学芸員さんの説明を記憶を辿って記します。時間軸の流れでは以下のようになります。

・明治2年(1869) 造幣局設置
・明治5年(1872) 日本で初めて硫酸を製造
・明治8年(1875) 清(中国)へ硫酸輸出
・明治16年(1883) 印刷局が造幣局を視察
・明治19年(1886) 印刷局王子製造所建設
・明治23年(1890) 御料局/佐渡支庁附属王子硫酸所が施設を引き継ぐ。
 工場設備はそのままで運用を任せた。今で言うとリースのようなもの。

 なぜ印刷局が硫酸を必要としていたかについては、学芸員さんのお話だと紙の漂白に使うさらし粉製造のためだったとのことです。
 そこで明治19年以後というと明治21-25年(1888-92)新小判切手が該当します。この時期から国産の漂白剤を使用開始していたということになります。
 しかし、明治13年には民間でも硫酸製造が始まっていますので、印刷局がいつまで自局製品を使い続けていたのかまでは不明です。漂白工程のみならず製紙そのものから小判切手収集家の皆さんの研究にお任せします。

・明治27年(1894) 日清戦争始まる
・明治28年(1895) 設備を陸軍省に譲渡

 以上で本展の解説は終わっています。

[皿山のはじまり]
 皿山とは、陶磁器生産の盛んな地域の呼び方で、「有田の皿山」など主に九州地方で使われる。
 小野田の皿山は、江戸時代の天保末年(1840年代)に富田(現周南市)で製陶にたずさわる家から旦の伊藤作右衛門宅に寄寓していた甚吉が、この地の土が焼き物に適していると語り、目出に移居していた萩藩士佐世彦七(前原一誠の実父)からの出資を受け、窯を築き、皿など日用雑器を焼いたのが始まりである。
 当時は、製品の販路も少なく盛況とは言えず、安政5年(1858)に甚吉が亡くなると、松本藤太郎が甚吉窯を経営するが長く続かず廃業した。その後、慶応2年(1866)久野彦左衛門、明治元年81868)姫井伊三郎、明治9年(1876)三好源之助などの製陶所の勃興が続いていった。
 明治24年(1891)日本舎密製造会社小野田工場ができると硫酸瓶の需要に応じ皿山は活気づき、加えて、焼酎瓶の需要もあったことから製陶所が増加し、まちの一大地場産業として栄えた。昭和26年(1951)には26製陶所を数えた。
 しかし、昭和30年代(1960年代)になりポリエチレン製容器の登場や、タンクローリーでの輸送が増えると、硫酸瓶の需要は無くなり、製陶所は徐々に姿を消していった。

※これ以上の詳細資料はFSC会報(facebook内の専用会議室)のみに掲載します。


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August 28, 2018

会津若松・薩摩川内・萩の観光物産展

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 昨日の8月27日(月)にプレスリリースがありました。日本郵便株式会社が後援する「会津若松・薩摩川内・萩の観光物産展」が2018年8月31日(金)から9月2日(日)に、東京シティアイ(JPタワー商業施設KITTE地下1階)において開催されます。並の物産展にとどまらずご当地限定オリジナルフレーム切手も販売されるとのことです。山口県民のソウルフード「萩・井上のしそわかめ」とともにフレーム切手もぜひどうぞ!。


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August 27, 2018

草加郵趣会結成50周年特別号と石川昭二郎さん

2018082601 昭和42年1月、日本郵趣協会(JPS)東埼玉支部が結成されました。JPS草加支部さらに草加郵趣会と名前こそ変わりましたが、昨年の平成29年に50周年を迎えるという偉業を成し遂げられました。その記念誌を拝読しているところです。おめでとうございます。
 関係者の方々はそれぞれのお立場で感慨があることでしょう。私は私で、同会の立役者であった石川昭二郎さんのことを改めて書いてみたいと思います。ひょっとすると私しか知らないことかもしれませんので、これもちょうど良い機会かと思います。

 石川さんと初めてお目にかかったのはいつだったか記憶がありません。高校卒業後に上京してから後のことであるには間違いないものの、具体的な日時はさっぱりわかりません。いつの間にか親しくさせていただいていました。若い時は誰でも、若いというだけで恵まれないものです。そんな時に助けてくださった方は間違いなく生涯の師となります。石川さんがまさにそうでした。

 上京して間もなくJPS調布支部を再結成しました。ところが、それ以前に存在した府中・調布支部の解散騒動の禍根が尾を引いていてどなたも支部長を引き受けてはくださいませんでした。明日が結成式という晩も八方手を尽くして電話しまくりましたけれど、話を蒸し返されて巻き込まれるのはゴメンだとのこと。結局、世話人の私が詰め腹を切らされる形で、20代の若造が支部長を引き受けるというとんでもない結果になりました。初っ端で郵趣界のダークサイドの洗礼を受けてしまったわけです。そんな厳しい環境の中で石川さんに組織運営のことなど多岐に渡ってご支援いただいたのでした。

 その後、三重県の四日市支部と鹿児島支部の再結成とそのサポートを手がけることになるのですが、調布支部のことがあり、以後、私自身が再び支部長を務めることだけは固辞してきました。今もその考えは変わりません。本気で支部長をやるには荷が重すぎます。

 東京のデザイン事務所を辞めて鹿児島に移住したのが平成7年。失業中に親戚が多くいる鹿児島に遊びに行ったところ「いつまでプラプラ遊んでるんだ!」と叔母にハッパをかけられまして。しかたなく技術系求職情報だけに特化した”鹿児島人材銀行”(今はないみたいですね)に行ったらたまたま職を見つけただけのことです。鹿児島も私のルーツの一部なので特段の抵抗もありませんでした。つまり、この移住は郵趣とは全く関係がありません。

 ところがいつのまにか石川さんが手を回していて、あたかもJPS鹿児島支部を再建するために私が送り込まれたかのように誤解している鹿児島のお歴々がちらほら。あのね、私もそこまで酔狂じゃないです!。

 しかし、そんなことがあって平成11年に郵趣活動賞をいただけることになりました。その時の写真、寄せ書きカバーをご覧いただきます。本稿最後に石川さんが亡くなった時の追悼文を再録しておきます。郵趣活動賞の由来や私が考えるフィラテリストの定義など、石川さんと私との師弟関係の中でご理解いただけるものと確信します。

 郵趣活動賞をいただいた時の第17回正会員大会(平成11年)の記念写真から。右から窪田毅さん(高知)、石川昭二郎さんそして私です。当時38歳でした。

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 同時に郵趣活動賞を受賞した3人の直筆サイン入り記念カバーです。上から藤井喜好さん、斉藤昭和さんそして私です。記念カバー自体は谷田部勝浩くん(調布)が用意してくれていました。それにサインをお願いしたわけですが、私以外のお二人ともすでに天に召されました。

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 受賞者3人の記念写真です。右から藤井喜好さん、斉藤昭和さんそして私です。

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<追悼 石川昭二郎氏>
 会報「東埼」特別号『故石川昭二郎氏 追悼』より。平成16年4月発行。
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August 12, 2018

佐川が集荷して、日本郵便が配達する

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2018081202 切手を貼っていないので一瞥もされずに捨てられてしまうことが多い料金別納・後納郵便。しかし、注意深く見ていると面白い使用例があります。図はその典型例です。中身は宿泊プランのチラシ、招待券で信書には該当しません。なので佐川急便さんが城山観光ホテルさんと契約して集荷と発送を一手に引き受けたものです。そこから先が面白い点で、このまま日本郵便さんに持ち込んでゆうメールで発送しています。自社で配達するより安いからです。こうした経営判断はお見事というほかありません。

 地元の地域配達局の山口郵便局さんに見学に行った時も、こうした運送会社のトラックのための専用レーンが設けられていると説明を受けました。
 また、今年の6月限りで日本郵便さんが集荷サービスをやめてしまったので、こうした集荷だけを扱う隙間会社がたくさん出現するのではないかと思います。
 日本郵便さんも集荷をやめたと言いながら実は官公庁の集荷は継続しています。露骨な不公平ですけれどなぜか問題になっていません。今後、集荷専門会社が増えれば役所向け集荷もやめることができるのでそう悪い話でもないと思います。

[追記:城山観光ホテルが名称変更]

2018081203 今年の5月8日、創業70年を迎えたことを好機とし、より若い世代の利用拡大をも意図して慣れ親しんだ城山観光ホテルの名称がSHIROYAMA HOTEL kagoshimaと改称されました。この社用封筒は今年4月の差し出しらしく、旧名称最後期の使用例と言えます。
 現在は、新名称シール(図参照)を上貼りして対応しています。それもじきに在庫がなくなり、新名称封筒が使われ始めるでしょう。鹿児島ゆかりの人々なら、シール貼りの過渡期使用例をぜひ収集対象に加えていただきたいものです。

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August 03, 2018

押印技術の劣化が酷すぎる

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 川越郵便局に郵頼していた小型印の引受消印が配達されてきました。ところが3通全部が失敗です。このほかに2通を知人宛に送ったのですが、この調子だと5通全部ダメでしょう。例年にない酷暑なのになおさらオーバーヒートしそうです。記念押印・引受消印に関する座学と技能訓練教育を強く求めます。

 ベタ地が多いデザインなのでムラなく押印するには熟練技能者でないと難しいだろうなと予想はしていましたが、案の定2/3を失敗しています。明らかに肉じゅう(インク台)のインクに偏りがあるわけで、押印前にしっかり揉んで均一にしなくてはなりません。そこから知らないのか?と暗然たる気分になります。

 しかし、いちばんの問題は印影が料額印面にかかっていないことです。引受消印の場合は10mm程度かかるように押す決まりのはずです。郵趣品として欠陥品であるばかりでなく、あたかも私たち郵趣家側が故意に押させたかのように誤解されがちなのでたいへんに困っています。大迷惑です。規定通りに割印することを至急周知徹底されてください。

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 世の中には指先の触感だけでミクロン単位の違いを察知して精密部品を作ることができる職人さんは数多いらっしゃいます。スタンプにインクを付けて転写するなどという作業ごときは、それにはとても及ばない単純作業です。それすらできないなんてどれだけ不器用なんでしょうか。
 もちろん、私自身は機会があってたくさんの押印経験があります。そのおかげで百発百中の自信がありますし、また、そういう気持ちでないと失敗するものです。


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July 20, 2018

毛利敬親展に行ってきました

2018072007 ゆっくり見たかったのでド平日の7月17日(火)に山口県立美術館に行ってきました。みどころはたくさんありましたけれど、まずは郵趣家としての視点からエドワルド・キヨッソーネの肖像画に注目です。
 ポスターにも大きく描かれている敬親公の肖像画、これこそがキヨッソーネの作品です。慶応2年(1866)12月、三田尻(防府の旧称)停泊中の英国戦艦上で撮影した写真をモデルにコンテで描かれたものです。敬親公48歳の姿で毛利家伝来品、山口県立山口博物館蔵。キヨッソーネは教科書にも載っている西郷隆盛像なども手がけていますのでどなたも一度は作品を目にしておられすはずです。その他に吉川経幹像、敬親公の跡を継いだ毛利元徳像も展示されていました。
 ご存知の通りキヨッソーネはもともとは凹版彫刻技師であり銅版画家です。ビュランで彫り込んで画面を構成する凹版ならではの表現方法とは全く違います。依頼されればまったく面識がない人でも写真を元に肖像画を描いたとのことで、敬親公の肖像画も同様であったろうと思います。

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 キヨッソーネの指導によって初めて西欧先進国と同等レベルまで水準が向上した小判切手。全国切手展JAPEX’01の際に作られた「小判切手とキヨッソーネ」記念カードの図案もご覧いただきます(財務省印刷局製造、財団法人印刷朝陽会発行)。求められる職能の違い、画力の確かさを感じ取っていただければ幸いです。

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 郵趣的関心事以外では「木戸孝允書簡 坂本龍馬宛(坂本龍馬裏書)」が一番の目的でした。冒頭のポスターは2つ折りになっていまして、それを開くと一番下に図版が掲載されています(赤矢印部分)。

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 疑い深い性格だった木戸孝允さん、薩長同盟の内容を書面にまとめて坂本龍馬に送り、証明の裏書きを依頼したものです。裏書き部分だけが見られるように展示してありましたけれど、実際は図録集に採録されているようにたいへん長いものです。龍馬は朱でこのように記しています。

 表に御記被成候六條ハ、小西(小松帯刀・西郷隆盛)両氏及老兄(木戸)龍等も御同席ニて談論セし所ニて、毛も相違無之候、後来といへとも決して変候事無之ハ、神明の知る所ニ御座候
 丙寅 二月五日 坂本 龍

 今まで実物を見たことがありませんでした。それもそのはず、宮内庁書陵部蔵です。今回を逃したら次はいつになるかわからないと思いました。これだけのためにもう一度くらい参観したいと思います。

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 おしまいに前売券と占い籤(会場出たところに自由にお取りください状態で置いてあったもの)にそれぞれ山口中央郵便局の消印を押してもらって帰宅しました。図録集も購入したことですし、私だけが個人的に楽しむ範囲でオリジナルのマキシマムカードを作って再訪しようかと考えているところです。

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参照:激動の幕末 長州藩主 毛利敬親


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July 01, 2018

郵便番号制度50年

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 郵趣誌やサイトで既にさまざま特集が組まれているように、今日7月1日(日)で日本の郵便番号制度が50年を迎えます。高度経済成長を背景に激増する郵便物をいかにして効率的に捌くか、その解決策の大きな柱でした。導入まで3ヶ月を切った昭和43年の切手趣味週間では、郵便番号宣伝のマッチまで配られ、それをカシェがわりに貼り付けた初日カバーをご覧いただきます。すっかり時代が変わってしまいました。
 折しも郵政博物館ではこの週末の土日に「郵便番号導入50周年展」を開催中です。本日7月1日の17:30までですので、都心の方なら今からでも間に合います。記念小型印も使われています。ぜひ足をお運びください。

郵便番号導入50周年展

2018070102 郵便番号制度は急に始まったわけではありません。その前段階として、配達局名記載の勧奨運動というのがありました。古くは明治時代からあったのですが、当時は全くと言ってよいほど普及しませんでした。本格的な運動が展開されたのは戦後、昭和24年12月頃からです。
 例えば私の住所も、地理に疎い県外の方が一見すると山口中央郵便局の管内かと思われるでしょうが、実際は小郡郵便局です。お隣の山口市鋳銭司の一部地域はなんと防府郵便局が担当されています。このように行政区分と郵便区分とが必ずしも一致しない例は少なくないため、できるだけ配達局名を書いてくださいという運動です。
 図のように一部の郵便局は「〇〇局区内」のハンコを用意し、窓口販売時にお客さんの了解を得てはがきに押して渡すようにしていました。自営業や小売店の中には自前でこのハンコを作って使ってもいたようです。図のはがきには岩国局の昭24.4.8の消印が押されています。

 さらに1999年(平11)、鹿児島在住の郵趣家Yさんが「郵便配達局名便覧」という小冊子を鹿児島県立図書館で発見されました。配達局名記載勧奨運動最初期にあたる昭24.3.15付です。発行元は鹿児島郵便局で、その掲載範囲は鹿児島県内のみ。今でも鹿児島県民は鹿児島だけが日本かのような生活・経済観(=国家観)を持っていますので、昭和24年ならばこれだけで十分だったであろうことは容易に想像できます。郵便番号制度50年に合わせてほぼ全ページをご覧いただきます。

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[余談追記]
 五十銭稲束はがきに第1次新昭和一円五十銭錦帯橋切手を加貼した図版のはがき、錦帯橋切手のご当地消印でもあるわけですが、裏面を見るとさらに興味深い通信であったことがわかります。戦後の配給制度がまだ残存していた時期のもので、これには麦酒(ビール)を男女一人に対して一本の家庭用配給があるとの予告通知です。4月15,16日の両日に岩国税務署に予約券を提出しに来るようにとの内容です。ところがビールの配給はこの直後に廃止され、昭和24年5月6日から自由販売になりました。なので、このはがきはおそらく配給最後のものであろうと推測されます。

 1枚100円の使用済はがきでこんなに楽しめるのですから郵趣とは本当に素晴らしい趣味だと思います。

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[7月2日追記]
 そしてこれが郵便番号制度導入2日目、昭和43年7月2日の郵便番号記入使用例です。印刷済の社用封筒がまだたくさん在庫されていたのでしょう、宛先も差出も郵便番号記入枠がありません。そこに手書きで書き込んでいます。消印は長野駅前 43.7.2 前8-12 → 京橋 43.7.3 8-12。

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May 28, 2018

はがきの魅力

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 郵趣6月号が届きました。毎度のことながら公益財団法人日本郵趣協会の名誉会員、魚木五夫大先生の連載記事「魚木式郵趣」は唸らされます。収集歴が半世紀にも達していない自分のような若輩者では、大先生の経験値の深さにはとても及びません。

 今回は「はがきの魅力」と題した一文で、要ははがきは、”郵便で送られたすべての情報が確認できる。つまり郵便物が、いつ、誰から、誰に対して、どのような目的と内容で、送られたのかを知ることができる。(本文ママ)”という完全性について具体例をお示しくださっています。普通の郵趣家は切手と消印にしか目を向けませんが、郵趣の持つ学術的な意味を極めるにはそれ以外のすべての情報を理解する必要があります。はがきは、その点で最も優れたものであることがよくわかります。

 鹿児島県串木野市(現いちき串木野市)の島平(しまびら)から船に乗って甑島(こしきじま)に渡ったことが記されています。里村(さとむら)、藺牟田(いむた)、手打(てうち)と、島の地区名表記から移動経路が見て取れます。串木野では、はがきの出された大正13年当時にはすでに今に続くマグロはえ縄漁が興っていますけれど、この時の調査はそれではなく珊瑚漁と珊瑚船の港湾設備視察だったようです。
 とはいえ、7月の東シナ海ですのでがっつり時化ていたようです。今でも同海が穏やかなのは5月のゴールデンウィークくらいまでのことで、以後は温帯性低気圧、台風の影響で荒れるのは常識。串木野港が整備される前の時代、島平港から出立したのであれば小さな漁船をチャーターでもされたのでしょう。本物の漁師さんでなければ船酔いで渡海もままならなかったことと思います。そもそもが7月なんて時期が悪すぎました。

 魚木大先生は、貼られている震災切手の東京印刷1銭5厘の希少性について論をまとめておられます。ですが、私は串木野と甑島のことについて便乗して書いてみました。なぜなら私自身が30代の頃に串木野市島平に住んでいたからです。


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January 13, 2018

自然災害と郵便

 来たる1月20日(土)に開催されるWe Love Kitte in KOBEに8リーフ作品を展示します。ご当地ゆえに阪神淡路大震災を軸に、郵便に見る災害の痕跡と記録を郵便資料等を使って表現したものです(図版はその一部です)。

 災害用郵便の中でも、規定はあるけれど実際の使用例が極めて少ない速達便が第1リーフ。生々しい被害状況を伝える手紙文をはじめ、復興の歩みと他地域の災害もご紹介します。具体的には新潟県中越地震(H16)、東日本大震災(H23)、口永良部島噴火(H27)、熊本地震(H28)、平成27年台風13号(被害を受けて曲がってしまった台湾の”萌えポスト”)などご覧いただきます。


 イベント当日のみの限定公開となります。どうぞご参加&ご覧ください。

第3回We Love Kitte in KOBE(公式facebookページ)
 実は第1回の時から裏方で協力していました。第3回にして初めて参加し、なおかつ作品展示をします。郵趣用名刺を箱ごと持参しますので名刺交換をどうぞよろしくお願いいたします。

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January 10, 2018

絵馬型合格祈念はがき

 九州では毎年恒例になった変形郵便はがきです。在庫がなくなるまで希望者に無料で配布されます。フォルムカードと同じく郵送時には120円切手を貼ってください。

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