通信の秘密は、これを侵してはならない
日本国憲法第21条第2項は、「通信の秘密」を基本的人権として保障しています。手紙・電話・電報、そして現代であれば電子メールやSNSに至るまで、その内容や通信相手を国家や第三者からみだりに知られない自由を意味するものであり、自由社会を支える根幹のひとつと言ってよいでしょう。もっとも、この権利が歴史上まったく無制限であった訳ではありません。郵趣の世界でも、受刑者・被拘禁者の郵便物に対する検閲、いわゆる「監獄郵趣」は古くから知られています。封緘の開披、検閲印、差止表示などは郵便史料として極めて興味深い一方、その背後には常に、国家権力と個人の通信の自由という重い問題が存在しています。
しかし、今回ご紹介するのはそれとも少し異なる、さらに扱いの難しい領域です。精神科病院の入院患者が差し出した実逓郵便物です。精神科医療の現場では、患者の安全確保や治療上の理由から、一定の通信制限が行われる場合があります。例えば、自殺・他害の危険、錯乱状態における大量投函、詐欺被害の防止、他患者の個人情報保護などがその理由として挙げられます。しかし当然ながら、それは無制限に許されるものではありません。特に現代日本では、包括的・恒常的な検閲は強く否定される方向にあり、患者の人権保障が重視されています。
そのことを踏まえたうえでご覧いただきたいのが、この昭和53年(1978)1月に差し出された、アメリカ宛航空はがきです。差出人は精神科病院入院患者であり、本文には「自由開放病棟だから仙石原と大した変りはないと云うのを信じて来たら、今の所は全く精神病患者の仝様の取扱いで、自由に電話をかける事も手紙やはがきを書いて自分で出す事も出来ない、一々監視検閲が必要で所持品や送ってくる品についても大抵仝
様……」と記されています。(注:「仝様」は当時の差出人表現のまま。「仝」は同の異体字)
注目すべきは、差出人自身が「1978.1.23」と記した日付に対し、実際の消印は一週間後の昭和53年1月30日・調布局機械印となっており、病院側による留置あるいは確認作業の存在を強く推測させます。もちろん、これらだけをもって病院側の行為を断定的に論じることは出来ません。当時の精神医療体制、病棟規則、患者の病状、郵便差出経路など、多くの前提条件を慎重に考慮する必要があります。しかし少なくとも本状は、昭和50年代の精神科病院における「通信の自由」の実態を生々しく伝える貴重な証言史料であることは間違いないでしょう。
本状差出から6年後の1984年(昭和59)、日本社会を震撼させた「宇都宮病院事件」が発覚します。1984年(昭和59)3月14日の朝日新聞報道を契機として、精神科病院における患者虐待や隔離の実態が社会問題化し、日本の精神医療は大きな転換点を迎えることになりました。本状は、まさにその「事件前夜」の時代空気を宿した郵便物です。
なお、本状は差出から半世紀を経ておらず、病院も現存していること、さらに通信文そのものが極めて高度なプライバシー情報を含むことから、画像・本文とも大幅にマスキング処理を施しています。ご理解いただければ幸いです。なお、研究目的の範囲では、山口郵趣会例会など限られた場において現物を提示予定です。
精神科病院入院患者差出の実逓郵便物は、筆者確認例としては本状でまだ2通目に過ぎません。「珍しい使用例」というより、そもそも現存絶対数そのものが極めて少ない分野なのであろうと考えられます。










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