日本の3Dアイテム
【3D印刷の始まり】
日本における3D印刷(立体印刷、ステレオ印刷、レンティキュラー印刷など)の始まりはきちんとわかっています。今も存続している晃和ディスプレイさんが技術開発し、1960年(昭35)に凸版印刷さんと業務提携され、ポストカードを作られたのが出発点です。
先日、eBayで上図を入手しました。切手も消印もありませんけれど、書き込みに29.IX.62とあるおかげでクリスマスカードとして封筒に納めて送られたものらしいと推定できます。文面が読めないので何語だろうかと悩んでいましたらセラーはブルガリアの方でした。1962年は比較的に早い時期でもあり、もうその頃には全世界に向けて送り出されていたのかとちょっとびっくりです。販売はアメリカの会社だけれどMade in JAPANのインプリントがあるカードも多く、海外からの受注も多かったのだろうと察せられます。今で言うトレンド商品として大ヒットしたものではないでしょうか。
自分自身が1961年の生まれで、物心ついた頃には既に世の中に存在していたため、黎明期の記憶がないのはやむをえないとはいえちょっぴり残念です。
【日本郵便最初の発行】
日本郵便が発行した最初の3D印刷商品は、2007年(平19)に試行販売された商品名「3Dカード」です。ラッセンのイラストレーションからカメ、シャチ、イルカの3種が採用されました。立体的に見える3D形式と動いて見えるモーション形式の2種のバージョン、計6種のセットでした。販売地域は近畿、東海支社をはじめ東京、関東、南関東支社の計333局。発行枚数は各1万枚、計6万枚。
実物はかなり分厚くいかにも試行という感じです。「はがき」の呼称は一切使われず「カード」とし、料額印面はなく、当時の定形第1種料金の80円切手を貼るように指示してあります。
郵趣界では2004年にニュージーランドが発行したアテネオリンピック記念切手4種のインフォメーションでレンティキュラー切手(Lenticular Stamps)と呼んだのが初めてで、同郵政は「アクション・リプレイ切手」と名付けていました。製造はアメリカのXtreme Graphics社です。
それ以前にも3D切手はたくさんありましたが、カメラを使った光学的手法で作られていたために変化する画像は2つまででした。それがIT技術によるデジタル製版により、5種以上の画像によるモーション表現も可能になりました。それゆえ、私個人はデジタル製造の券種のみ「レンティキュラー」と呼び、それ以前とは区別しています。
日本のラッセンのそれもデジタル製造です。しかし、当時の日本郵便の報道発表には「レンティキュラー」の語はまったく使われていません。当時はまだ馴染みのない言葉だったので、意識的に避けられたのではないかと思います。
【日本郵便発行の3Dカード】
その後、主に支社レベルで各種3Dカードの発行が認められます。自分が把握しているのは以下の通りです。リストは郵便窓口で販売されたもののみです。なお、※印以外はいずれも料額印面はありません。
・20100806:大仙市大曲花火競技大会100周年(2種)/東北支社
・20130723:伊達ご家紋(1種)/東北支社
・20140106:恐竜(6種)/北陸支社
・20141030:「アナと雪の女王」お年玉付き3D年賀はがき(4種)※
・20141225:ドクターイエロー(3種)/東海支社
・20150113:ハローキティー(6種)/近畿支社
・20150306:北陸新幹線(2種)/北陸支社
・20151029:「スター・ウォーズ」お年玉付き3D年賀はがき(2種)※
「ディズニーツムツム」お年玉付き3D年賀はがき(2種)※
どこまでを収集対象とするかは各自でご判断ください。私は料額印面があるもののみと決めています。それは上記リストの※印がある2件のみになります。その報道発表を以下に貼っておきます。
【「アナと雪の女王」お年玉付き3D年賀はがき】
【「スター・ウォーズ」「ディズニーツムツム」お年玉付き3D年賀はがき】
【最初の郵趣家私家版は荒牧裕一さん作】
全国切手展JAPEXが今年50回を迎えるにあたり、変形切手収集の第一人者である荒牧裕一さんがフレーム切手で3D切手を作られました。第1回が開催された1966年の国際文通週間切手の「隅田川関屋の里」と、2015年の同「吉原 東富士」の2種が交互に見えるという労作です。個人で3D切手を作られたとは畏れいります。
偶然ではありますが、消印が押された10月31日こそ、宛名の防府市のアパートを退去したまさにラストデーでもあります。そんな個人的なメモリアルも忘れがたく、あえて掲載することにいたしました。
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