直筆サイン入り

January 25, 2019

YVONNE CARRE(イボンヌ・キャル)

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 直筆サイン入り郵趣品も収集対象にしている関係で、将来の記念押印用にサイン入りプロマイドなどもチェックしています。その一環で入手したのがこれ、YVONNE CARRE(イボンヌ・キャル)さんです。

 表には"for FREDERICK - me in TOKYO"と群青色のマジックインキペンで書かれています。ファンレターをくれたフレデリックさんへのご返事品のようです。裏には日本滞在中に日本語のレコードを吹き込み、28のTV番組に出演したとあります。調べた結果、イボンヌさんは主にヨーロッパで活躍された国際派歌手さんで、坂本九さんの「上を向いて歩こう」をドイツ語などで歌っておられたようです。いわゆる”スキヤキ・ソング”ですね。3年後の2021年がレコード発売60周年にあたるので、その際のカシェにでも使えるかな?と考えての購入でした。はい、つまり「上を向いて歩こう」と私は同い年でアリマス。

 残念ながらWikiにも記載がないのでちょっぴり手こずりましたが彼女のホームページも発見できました。写真の印象は1960年代っぽいのですが、同じ写真が1970年代のBiographyに掲載されていました。その時代なら日本のテレビ局関係にも資料が残されているかもしれませんね。

http://www.yvonnecarre.com/seiten/intro.php

 ところがホームページとこのプロマイドの写真が左右逆でした。どちらかが裏焼きエラーということになります。プロマイドでは和服の襟が左前になっているのでこちらがミスと思います。着付けの先生にお願いしなければ外タレさんが自前で着られるわけがありませんし、先生が左前にするはずもありません。

 直筆サイン入りに加えて裏焼きエラー品。ちょっぴり得した気分です。


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January 06, 2019

山口県立図書館初代館長・佐野友三郎

 1903年(明治36)7月、山口県立山口図書館が開館し初代館長に佐野友三郎(さの・ともさぶろう)が就任しました。図はその佐野氏の直筆サイン入り外信はがきです。内容はアメリカのプロビデンス公共図書館からの年次レポート受領に対する礼状です。消印は山口局の1912年(明治45)5月15日、翌日の神戸局中継印も押されています。

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 これはもう当該図書館に直接伺って確認するのがベスト。そこで昨年暮にリファレンスサービスを利用し、以下の2点を確認していただきました。
 まず、はがきに記されている年次レポートが現存しているかどうかです。残念ながら受け入れの記録そのものが確認できませんでした。明治末頃、佐野はみずから渡米して図書類を大量に購入していたそうです。その量があまりにも膨大だったので整理し切れていなかったのではないか?とのことでした(退職館員さんへの聞き取り調査結果)。
 次にこのサインは、例えば秘書さんのような方が代筆していた可能性もあります。佐野氏本人の真筆かどうかも確認したかったのですがこの点も不明でした。ただし、同館内にある山口県文書館には佐野の書簡が数点保管されていることを教えていただいたので、年が明けた本日1月6日(日)に伺ってきました。図は検索端末画面のキャプチャー画像です(許可を得て撮影しています)。

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 所蔵品はいずれも国内郵便物のみで表記はすべて日本語でした。ですので、厳密には真筆かどうかの筆跡照合ができなかったわけです。しかし、今後の発見・真筆確定の導きとなるよう、所有している2枚の外信はがきのうち1枚を寄贈してきました。図より1年前、1911年(明治44)の使用例です。私が個人で所有するより有意義であろうとの判断です。実物をご覧になりたい方は山口県文書館へどうぞ。

※差出から100年以上を経過している点に加え、内容そのものが公務であることから、本件はパブリック・ドメインと見なし、モザイク処理等の個人情報保護は致しません。


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December 23, 2018

岸信介・佐藤栄作兄弟の直筆はがき

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 ようやく兄弟直筆のはがきが揃いました。向かって左が岸で、消印は鉄道郵便印で広島下関間(大正)5.7.19の下り便です。吉敷郡嘉川村は私の父の里でもあるのでたいへん気に入っています。右がこのたび入手した佐藤です。残念ながら消印が不鮮明ですけれど、差出住所が”福岡県筑紫郡二日市町鉄道官舎”となっていること等で特定できました。
 下の毎日新聞の記事をご覧ください。1926年(大15)に若干25歳で二日市駅長に赴任しています。通信面には引越ししたばかりで大混雑している旨がるる記されています。wikiによると1926年(大15)11月から翌1927年(昭2)4月までのわずか半年間であったということです。つまり、山口県政に関するものであると同時に、鉄道資料としても意義深いと考えます。

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※プライバシー保護のため、通信面は研究者向けにFSC会報(facebook内の専用会議室)のみでの公開と致します。

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December 16, 2018

孤高のピアニスト・梶原完

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 博多の切手即売会で孤高のピアニスト・梶原完(ひろし)の直筆書簡を掘り出しました。アベノスタンプ大阪さんがはるばる持参してくださった実逓便の中に紛れ込んでいました。フランクフルトでのリサイタルが決まった云々の記述があることでピンときて、詳細不明のままとりあえず買い押さえました。オーストリアのウィーン1955.3.21差し出しです。
 外貨が自由に取引できなかった時代です。航空券の手配等を日本交通公社さんにお願いされていたのでしょうか?
 ググった限りでは以下しか判明しませんでした。後日、専門機関で詳しく調査します。

 「敗戦翌年の春、彗星のごとく楽壇デビューを果たした21歳の梶原完は、そのまま全国での精力的な演奏活動を展開、「ルビンシュタインのような」という評価まで得る。だがその8年後、1年間の予定でヨーロッパ留学に旅立った彼は、彼の地でもさらにめざましい活動を展開しながら、再び祖国に戻らなかった・・・。」

※詳細はFSC会報(facebook内の専用会議室)にて


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August 27, 2018

草加郵趣会結成50周年特別号と石川昭二郎さん

2018082601 昭和42年1月、日本郵趣協会(JPS)東埼玉支部が結成されました。JPS草加支部さらに草加郵趣会と名前こそ変わりましたが、昨年の平成29年に50周年を迎えるという偉業を成し遂げられました。その記念誌を拝読しているところです。おめでとうございます。
 関係者の方々はそれぞれのお立場で感慨があることでしょう。私は私で、同会の立役者であった石川昭二郎さんのことを改めて書いてみたいと思います。ひょっとすると私しか知らないことかもしれませんので、これもちょうど良い機会かと思います。

 石川さんと初めてお目にかかったのはいつだったか記憶がありません。高校卒業後に上京してから後のことであるには間違いないものの、具体的な日時はさっぱりわかりません。いつの間にか親しくさせていただいていました。若い時は誰でも、若いというだけで恵まれないものです。そんな時に助けてくださった方は間違いなく生涯の師となります。石川さんがまさにそうでした。

 上京して間もなくJPS調布支部を再結成しました。ところが、それ以前に存在した府中・調布支部の解散騒動の禍根が尾を引いていてどなたも支部長を引き受けてはくださいませんでした。明日が結成式という晩も八方手を尽くして電話しまくりましたけれど、話を蒸し返されて巻き込まれるのはゴメンだとのこと。結局、世話人の私が詰め腹を切らされる形で、20代の若造が支部長を引き受けるというとんでもない結果になりました。初っ端で郵趣界のダークサイドの洗礼を受けてしまったわけです。そんな厳しい環境の中で石川さんに組織運営のことなど多岐に渡ってご支援いただいたのでした。

 その後、三重県の四日市支部と鹿児島支部の再結成とそのサポートを手がけることになるのですが、調布支部のことがあり、以後、私自身が再び支部長を務めることだけは固辞してきました。今もその考えは変わりません。本気で支部長をやるには荷が重すぎます。

 東京のデザイン事務所を辞めて鹿児島に移住したのが平成7年。失業中に親戚が多くいる鹿児島に遊びに行ったところ「いつまでプラプラ遊んでるんだ!」と叔母にハッパをかけられまして。しかたなく技術系求職情報だけに特化した”鹿児島人材銀行”(今はないみたいですね)に行ったらたまたま職を見つけただけのことです。鹿児島も私のルーツの一部なので特段の抵抗もありませんでした。つまり、この移住は郵趣とは全く関係がありません。

 ところがいつのまにか石川さんが手を回していて、あたかもJPS鹿児島支部を再建するために私が送り込まれたかのように誤解している鹿児島のお歴々がちらほら。あのね、私もそこまで酔狂じゃないです!。

 しかし、そんなことがあって平成11年に郵趣活動賞をいただけることになりました。その時の写真、寄せ書きカバーをご覧いただきます。本稿最後に石川さんが亡くなった時の追悼文を再録しておきます。郵趣活動賞の由来や私が考えるフィラテリストの定義など、石川さんと私との師弟関係の中でご理解いただけるものと確信します。

 郵趣活動賞をいただいた時の第17回正会員大会(平成11年)の記念写真から。右から窪田毅さん(高知)、石川昭二郎さんそして私です。当時38歳でした。

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 同時に郵趣活動賞を受賞した3人の直筆サイン入り記念カバーです。上から藤井喜好さん、斉藤昭和さんそして私です。記念カバー自体は谷田部勝浩くん(調布)が用意してくれていました。それにサインをお願いしたわけですが、私以外のお二人ともすでに天に召されました。

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 受賞者3人の記念写真です。右から藤井喜好さん、斉藤昭和さんそして私です。

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<追悼 石川昭二郎氏>
 会報「東埼」特別号『故石川昭二郎氏 追悼』より。平成16年4月発行。
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February 02, 2018

「郵便局サンタ47」湯野郵便局さんの実践レポート

 昨今は郵便事業以外にもさまざまな施策を積極的に講じられている日本郵便さん。プレスリリースを読みましたら山口県内では周南市の湯野郵便局と、下関市の長府郵便局が参加と知りました。幸いにも湯野郵便局の山本局長さんとは面識がありますのですぐに取材の申し込みをしました。会場となった菊川保育園さまにもお許しをいただきました。
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 クリスマス会に先立つ2017年12月12日(火)、山本局長さんじきじきに同園でサンタさんへのお手紙教室を開催されました。掲示板にはそのサンタさんからのご返事がしっかり飾ってありました。
 そして本番の20日(水)午前11時、2階に上がりましたら既に大盛り上がりで圧倒されました。山本局長はその巨躯を生かして堂々たるサンタクロース姿。一組20人くらいでしょうか、組ごとに園児たちに取り囲まれて記念撮影に応じておられました。それがとっかえひっかえで3組くらいでしたから園児さんは総勢で60人はいたと思います。
 まずお手紙教室を開催し、そのご返事をプレゼントともに配達しにくるサンタさん。これで園児さんたちが喜ばないわけがありません。たいへん良い企画だったと思います。
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 撮影を終えてすぐ近くのセブンイレブンではがきプリント。それにこれまたすぐ近所の徳山菊川郵便局で記念押印し、記念のマキシマムカードを作成しました。ちょうどそこに山本局長さんご一行様が入ってこられましたのでその場で直筆サインを入れていただきました。

 山本局長さん、おつかれさまでした!。

(追伸)
トナカイのお姉さんが可愛かったです(笑)

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[お断り]
 本件は公益財団法人日本郵趣協会登録防府支部として直接訪問取材を行いました。支部会報の編集スケジュールの都合から、同支部長と調整のうえ、筆者個人の郵趣ブログ”HYPER Philatelist”に先行掲載になったものです。


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January 02, 2018

戌年なのに猫

2018010201 ここのところ不思議に猫関連郵趣品が届きます。図は池澤克就さんが昨年12月にお送りくださった新宿区立漱石山房記念館の記念スタンプ付きはがきです。消印も同館にある猫塚が描かれた牛込郵便局さんの風景印です。

 そんな折、日本関係の実逓カバー類をチェックしていたら偶然にも木村喜久弥氏(1921-1959)直筆のエログラムを入手しました。氏は本来はアメリカ経済史、中南米古代史の研究者。ですが本業とは別に1954年(昭29)に「ねこ:その歴史・習性・人間との関係」を出版された猫学の先駆者として知られています。宛先は本業研究関係のAvery O. Craven教授あて。消印は静岡 26.4.18 前8-12。
 猫切手コレクターさんにとっては貴重品ではないでしょうか。特に木村氏は38歳という若さでお亡くなりになっていますので、直筆アイテム自体がそんなに残されていないものと類推されます。

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 猫の日が制定された昭和62年2月22日の初日印も所持していますし、なぜか三代目江戸家猫八師匠の直筆はがき(日本橋 32.8.15)まで持っています。持っていないのは生きた猫だけです。

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August 30, 2017

トリプル要素以上は知識とセンスと説明が必要

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 戸籍制度100年記念の初日カバーは(1)初日カバー、(2)ディスカバージャパンスタンプ(DJ印)、(3)直筆サイン、の3つの要素で出来ています。普通はあっても2要素止まりで、このようなトリプルな構造を持つアイテムはかなり少ないです。
 しかし、漫然と3要素を乗っけただけではダメです。各要素の意味ある相関関係が一体となってこそ収集品として完成します。トリプルからは中級者以上の知識とセンスと説明(記録)が必要です。これはその悪い例です(笑)

 本便は何がメインでしょうか。往時の郵趣家の発想を演繹してみると直筆サインではなかったかと想像されます。1971年10月、日米野球のために来日した米大リーグ ボルチモア・オリオールズのチコ・サーモン選手(Chico Salmon)が後楽園球場での初練習後にもらったものとしっかり説明があります。21日に来日し、翌22日PM3:50のことと記されています。ここまでは完璧です。書いてある通りです。

 ところが(1)初日カバー、(2)DJ印、との関連がまったくわかりません。全郵普で事前販売されている初日カバー用封筒の裏面にサインしてもらい、その5日後に東京中央郵便局に行って初日カバーに仕立てたのはどういう意味なのでしょうか?。サインをもらった当日は金曜日なので郵便局は開いてます。同じ裏面に最寄局で記念押印すれば普通に良いものをなぜこんな回りくどいことをしたのでしょう。そもそも、初日カバー用封筒を使った理由からして不明です。たまたま持っていただけ???
 さらにDJ印はなんなん?。当時の後楽園球場の最寄駅でもなんでもありません。この昭和46年からDJ印が使われ始めたので、ひょっとすると最も近場では池袋駅しか印顆の配備がなかったのかもしれません。それならそうと中紙に説明を記録しておかなければ、製作者の手から離れた途端に意味がわからなくなります。

 トリプル郵趣品をものするには知識とセンスと説明(記録)が必要です。漫然と組み合わせたものは意味がわからないだけに著しく評価を下げてしまいます。ベテランと言われるキャリアの長い郵趣家ほど知識とセンスはあるつもりになっているので最後の説明(記録)がおろそかになりがちです。その欠点は想像以上に致命的であることを理解しなくてはなりません。


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March 05, 2017

暮しと郵便〜山口県の離島

 以前から離島の郵便関係を集めていましたが、だいぶ量が溜まってきたので専用の収容ケースファイルを作ってアイテムを集約しました。なぜ離島なのか、何が面白いのかをご紹介したいと思います。(一部の図版はクリックで別ウィンドウで拡大画像が開きます)

【県の関心が高い】
 数年前に山口県庁の書店で「やまぐちの島々」という小冊子を購入しました。山口県離島振興協議会が発行したものです。角島が取り上げられているので角島大橋が開通した2000年(平12)11月3日以前の出版物であることがわかります。しかし、この手の文献は古い時代の生活がわかるので古ければ古い方が良いのです。

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【各自治体も振興に熱心】
 萩市で配布している見島のパンフレットです。その右隣は昭和3年11月の(昭和)大礼記念の特印です。今でこそ人口約800人の過疎と高齢化の島ですが、もともとは他の島々と同じく食料増産の国策のため数千人が漁労に就ていました。それだけの人口があったが故に特印も配備されたのでしょう。

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【今も昔も郵便が行き来】
 人の生活があれば必ず通信のやり取りがあります。意識しているとけっこう集まりますので楽しいですよ。
 図は左から角島局昭和12年(現萩市・角島)、見島局昭和41年(防府市・見島)、西平郡簡易局平成28年(柳井市・平郡島)です。さらに新料金領収印は当時西平郡局にお勤めだった片寄さんが記念に押印されたものです。現存数はわずか数枚とのことです。

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【郵便貯金台紙】
 戦前は郵便切手を使っての郵便貯金制度がありました。大正4年の大正大礼記念に全国で行われたものです。大正大礼記念切手4種のうち低額の1銭5厘と3銭の2種が使われています。山口県人でなければ小松局と言われてもこれが周防大島だとはちょっとわからないと思います。小松とは地名由来の局名で、今の大島局のことです。

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【架橋以前の時代】
 広島県呉市の某郵便局長にして郵趣家だった故木村佳久氏の旅行記念カバーです。バス旅行のチケットを貼り、出発地と到着地の消印が押されています。注目は木村氏の手によるカシェです。昭和46年10月当時、大島大橋はまだ架けられていなかったことを示しています。渡船を要するがゆえに団体旅行の企画になりうる旅情を伴っていたのでしょう。大島大橋が開通したのは1976年(昭和51)年のことです。

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【架橋記念の小型印】
 ということで架橋記念の小型印も必然的に収集対象になります。本土から近い離島が多いのが山口県のメリットと言えるかもしれません。架橋されたことで離島ではなくなったのは屋代島こと周防大島(周防大島町)、沖家室島(周防大島町)、長島(上関町)、笠戸島(下松市)、向島(防府市)、彦島(下関市)、角島(下関市)、青海島(長門市)などがあります。

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【記念押印は欠かせません】
 昭和30年以降、高度成長時代を経て離島の人口は激減します。産業構造の変化が主な理由で基幹産業の漁業従事者は今も減少が続いています。人口が少ないのですから郵便取扱量が少ないのも必然です。それゆえ郵頼や郵便局巡りによる記念押印は意味があります。記念押印した印影以外見つからない例というのもあるでしょう。
 左はそんな県内各地の離島局消印です。また右は周防大島町内の消印です。周防大島まるごとが元離島なので全局が収集対象です。

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【ハワイ移民の島】
 周防大島はまたハワイ移民の島としても知られています。戦前からたくさんの移民が太平洋を渡って行きましたので、生まれ故郷に書き送った郵便が実在します。図はまさにそんなハワイ移民から送られてきた1920-30年代のものです。
 さらに明治7-8年頃以降、好漁場であることから対馬(長崎県)の浅藻地区に久賀(くか)の漁師が多数移住して行ったことも知られています。私も注意しているのですが対馬・周防大島間を往来した郵便物にはいまだにお目にかかれていません。

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【岸信介の直筆はがき】
 周防大島はまた岸信介の地盤でもありました。1977年(昭和52)に超党派の議員団の団長としてメキシコ・コロンビア・ブラジルの3ヶ国を訪問した時の直筆はがきです。コロンビアで島の支援者に書き送ったものです。当時は外国来信郵便物にはもう到着印は押さない時代のはずですが本便はなぜか日良居局が押印してくれています。

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June 02, 2016

第1回切手フェスタ

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 高安紀彰さんからご恵送いただきました。どうもありがとうございます。

 郵趣イベントは第1回目が大事です。最初ゆえに目が行き届きにくいために残さなければならないものが容易に失われてしまいがちです。そこで、今回は私の方からお願いして実行委員全員の直筆サイン入りをお願いしました。
 特に催事自体は5月27日(金)からスタートでしたが記念小型印の使用は28・29日(土日)の2日間だったこともリアルタイムに記録しておかないと容易に忘れられてしまいやすい大事なポイントです。
 さらに小型印の図案中に丸ポストが描かれている点も注目です。丸ポストの保存活動をされていらっしゃる方々にとっても必須アイテムのはずです。

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