山口県ゆかりのあれこれが見つかったのでまとめてご報告いたします。
自然保護シリーズ第15集「ゲンジボタル」が発行されたのは1977年(昭52)7月22日で当時の私は山口高校普通科の2年生でした、本券が発行された時はリアルタイムに経験しています。既に郵趣をたしなんでおり、山口郵便局もまだ中市商店街 (今の井筒屋のあたり) の中にありました。それが現在の中央一丁目に移転したのは翌1978年 (昭53) 7月17日、さらに山口中央郵便局に昇格改称したのは1987年 (昭62) 7月1日です。私は高校卒業とともに上京したので、局舎の移転までは経験しています。
▼記念押印台紙・タトウ (切手帳)
今回発見した郵便商品です。一般的によくある二つ折りの台紙・タトウですが、山口県の郵趣シーンにとっては大事なメモリアル品です。本券から山口郵便局での絵入りハト印、和文ハト印、欧文ハト印が使用開始されたからです。今に続く最初の使用例です。
▼記念押印台紙・タトウ (切手帳) の申込書
チラシを兼ねた申込書です。にしても「切手帳」とはちょっと大袈裟かも。発行部数は5,000、価格は貼付切手の額面のみの288円。切手帳の内容は、ホタルのイラストと「花神の里」やまぐちの観光アラカルト、と予告されていますが、現物では「花神の里」は没になり、中原中也に変わっています。
ちょうどこの時にNHK大河ドラマ「花神」が放送中でしたから意図は理解できます。がしかし、大村益次郎さんはホタルとは無関係。一の坂川のホタルならやはり中原中也の方がしっくりきますね。
▼「山口郵趣」No.201号
和文タイプによるガリ版印刷、B5判6ページ立てです。「昭和34.2創刊」とあることから、以前取り上げた同名の山口郵趣会会報「郵趣やまぐち」(昭和23.7.31創刊) とは別なのか、それとも後継誌なのか、今後突き止めていきたいと思います。
内容から察して、キープしてもらった新切手をシート買いするためだけに毎月1回郵便局の会議室に集まっていた頒布会のように感じます。なにより、高校生だった自分自身が会の存在を今の今まで知りませんでしたから。
▼絵入官葉3種の販売
ゲンジボタル切手発行にちなみ、官製はがき (20円駅鈴) の裏面に意匠をほどこした絵入官葉を発売することが「山口郵趣」No.201 P.5に掲載されています。その実物画像をご覧いただきます。「ゲンジボタル切手」発行記念としっかり記念銘も入っています。
▼ホタル塚
小型印の左に描かれている石碑についても述べておきます。歌人 吉井勇による歌碑で、地元では「ホタル塚」と呼ばれています。弟の家に行く道すがらに建っているようです。これに刻まれている「うつくしき 螢の群のかがやきを このうつし世のひかりともがな」が絵入官葉にも採用されています。
▼歌人 吉井勇の郵趣品
「ゴンドラの唄」の作詞家です。そのものズバリの特殊切手が発行されているほか、劇中で志村喬が口ずさんで一躍再評価されたことであまりにも有名な映画「生きる」の絵入はがきもご覧いただきます。
▼自作初日カバー
最後は、お恥ずかしながら高校2年生当時の自分がペンと水彩で手描きした自作初日カバーです。今からほぼ半世紀、48年前の作のため、ホタルの光を表す黄色がかなり飛んでしまいました。
わざわざ辰野郵便局まで郵頼して風景印を押してもらっています。その理由は簡単です。通学の行き帰りに毎日のように山口郵便局に立ち寄っていましたのに、なんと小型印が使われることをまったく知らなかったからです。ポスター、チラシの類も目にした記憶がありません。そもそも山口郵趣会の存在自体知らなかったのですから、今で言うところの「情報弱者 (情弱)」「情報難民」でしたね。

郵趣情報に飢えていた私は、昭和51年にはもう日本郵趣協会に入りました (来年で会員歴50年に到達します)。それでもこうしたローカルな題材まではわかりませんでした。
せっかくインターネット、パソコン、スマホが発達した現在、これを積極的に利用しないなんて意味がわかないです。
より高解像度の画像をfacebookにアップロードしました。興味のある方はそちらもご覧ください。
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