謎の農事グループ「百姓家」
防府切手のつどい2026冬にてまたまた百姓家宛の郵便を入手しました。なんともストレートに過ぎる名前なのでギョッとしますね。しかし、その実態はほとんどわかっていません。
「百姓家」名義で農業雑誌を発行していた記録が国会図書館にあり、農業を核にしての出版、啓蒙活動をしていた農事グループ会社ではなかったと想像しています。場所も「阿武郡奈古村第三百六十六番屋敷」と判明しています。
それが倒産したか廃業・解散して家屋敷が解体された結果、百姓家宛郵便物が古物商へと流れ、そして私たち郵趣家の許へと流れ着いたことはまず間違いないところです。それを100年以上も後になって調べようなんてのがそもそもクレイジーであることは承知の上です。
にも関わらず惹きつけられるのは、差出人がいずれも東北・北関東に偏重しているからです。今回お示しするのもはがきが栃木県(明治21)、書状が宮城県(明治30)です。
特に1896-09(明治29-39)に発行された「實業雑誌」には百姓家の出版物「百姓家」を「其名の如く農家の談話実験等を記載したる小冊子にて有益の書なり」と讃えているのですが、その出版社は福島實業雑誌社と言います。長州の宿敵会津藩なのにいいのか?。
以下は私の全くの想像です。藩政時代に地域の知を統べていたのはいわゆる庄屋さんでした。当時、読書階級といえば武士と僧侶しかいなかったと思われがちですが、実際の農村地帯の小作人子弟のために寺子屋や私塾を運営したり、生活のあらゆる面をサポートしていたのが庄屋さんです。
それが明治維新後にもその社会機能が維持され、知的好奇心に溢れた青少年たちの集う場所になりました。身近なところでは山口市阿知須の江口家がそうです。それが後の自由民権運動の担い手になり、要は今で言う反体制活動組織としておおいに弾圧もされました。東京の八王子・多摩地区なんかはその騒乱の代表地なのはよく知られているところです。
記録が全く見つからないのでなんとも言えないのですが、百姓家もその始まりは庄屋さんあるいは篤農家による農村社会の啓蒙活動団体だったのではないか、またそうあって欲しいと夢想しているところであります。
実は2年前の2014年に実際に現地を訪ねました。活動期間は決して短くないのに痕跡は一切なく、阿武町史にも記述がありません・・・とは町役場でお聞きしたご返事でした。それ以後、リサーチは全く進んでいません。地元の方で何かご存知ではありませんでしょうか?。














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