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May 25, 2024

「郵趣やまぐち」第5号抜粋

  第5号は昭和25年8月10日発行です。創刊号時点から不定期刊行と謳ってはいましたが、第4号からほぼ1年間のブランクはさすがに長すぎたと編集者サイドも自覚があったようで、遅延をお詫びする文言があります。しかし、その一年間に吉武信夫編集人のガリ版切りの技術が飛躍的に向上していることが容易に見て取れます。文字が整っているせいで大変読みやすくなりました。また、表紙と裏表紙だけですが赤と黒の2色刷りになったのもこの5号からです。

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▼郵趣コンクール私見(山下武夫)
 今に続く全日本切手展(全日展)の第1回目「全日本切手コンクール」の参観記が目を引きます。やはり始まりの第1回目の記録は重要です。
 当時は開催コンセプトがはっきりしておらず、本格的な学究的競争展なのか、それとも一般人でも見て楽しめる今のSTAMP-SHOW的な展覧会なのか、根本的な部分が未分化であったがゆえの混乱があったと理解しました。参観者による人気投票を提案するなど、山下氏といえどもちょっとどうかな?と思わざるを得ない主張をされています。
 また、当時はリーフ形式ではなく、大きな一枚の台紙に切手を貼り並べるという極めてプリミティブな展示方法であったことも理解しなくてはならないと思います。
 なお、文中にある「全日本郵趣コンクール」は「全日本切手コンクール」の間違い、朝日新聞社の主催という記述も毎日新聞社主催の間違いです。このあたりの不正確さは要注意です。ついでながら私が調べた限りでは「全日本切手展」という名称は1953年 (昭28) の第4回から使用されたようです。

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▼誌上郵趣人点描
 戦後の山口県の郵趣シーンを牽引した藤本敏一(ふじもと・としいち)氏の紹介コラムです。ただの提灯記事ではなく、戦前最大の国際交換グループであったアメリカのU.S.C.E.の東洋副支部長であったことが明記されています。以前にご紹介した氏差出の実逓便の裏書きの意味がわかりました。

参照:郵趣家は死んで郵趣品を残す(1)

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▼切手展スクラップ
 昭和25年前半に山口県で開催された切手展の記録です。県下に10に及ぶ郵趣会が結成されていたことも記されています。地味な内容ですが、こうした活動記録はたいへん重要だと思います。

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▼裏表紙(広告・奥付)
 著名な山口県郵趣人の名刺広告が並んでいます。往時の郵趣シーンを知る上で、こうした広告ページもあなどれません。かつて山口市にあった百貨店「ちまきや」にも切手コーナーがあり「八木 (やぎ) 切手部」と称していたとも。

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 このたび入手したのはこの第5号で最後です。山口県立山口図書館で確認しましたところ、郵趣やまぐち誌自体の蔵書がなく、6号以降も発行が継続されていたのかどうかも不明です。2世代どころか3世代以上昔のことです。古い郵趣家の許に残っていることを期待して止みません。

 

 

 

 

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