下関郵便局細江分室の年賀状
下関郵便局、下関東郵便局の変遷はややこしくて私自身も暗唱できるほど理解できていません。てか、文献と照合しながらでないと無理っす。
図は分銅 (ぶんどう) はがきなので使用は大正3年1月1日付年賀状というのは簡単に分かります。しかし、櫛型印のD欄に”細江”と入っているのが話がややこしくなるポイントです。
・明36.4.1、下関郵便電信局から分離する形で下関細江郵便局 (二等) 設置。
・明38.6.12、下関西郵便局 (二等) に改称。
・明43.4.1、一等郵便局に昇格。
※ややこしいのはここから↓
・大2.6.13、下関西と下関東が合併し
→下関東郵便局は下関郵便局と改称。
→下関西郵便局は下関郵便局細江分室となる。
それが早くも大4.3.31で下関郵便局細江分室は廃止され、翌日の大4.4.1に下関細江郵便局 (二等) が設置されました。さらに昭10.9.14に下関郵便局 (一等) と改称されています。それが現在の下関郵便局だと理解しているのですが・・・ これが正しければ、図の年賀状は大2.6.13~大4.3.31のわずか1年9ヶ月間だけ存在した下関郵便局細江分室の消印ということになります。さらにこの大正3年と4年のたった2回だけが年賀状の機会で、本例はその最初の年ということになります。
下関は自分のルーツである長府毛利藩士の槇家があった土地なので関心はあったものの、上記のように変遷がややこしく、なおかつ稀品珍品はこの道の大家の元にあって滅多なことでは市場に出てきません。所有者がお亡くなりになるなどして出てきた時は必ず高値になるのでどっちみち縁遠い世界です。
とは言え、私の曽祖父 椙山伊三郎は明治時代に渡米するまで下関郵便局に奉職していました。しかも、たまたま局前を通りすがりの女学生に一目惚れして結婚したのが曽祖母。4代にわたるこの奇縁、歴史好きには容易に看過できるものではありません。この一枚の入手をきっかけについに荒波の航海に漕ぎ出すべきかどうか絶賛お悩み中なのであります。



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