郵趣面から見た選択制夫婦別姓制度の課題
我が椙山家は母が家付き娘だったので父の方が婿養子に入りました。父の旧姓は上村 (かみむら) と言い、過去帳を辿ると、鎌倉時代頃にわずか2軒だけあった農家の一方です。明治維新後に椙山の姓を名乗ったうちよりはるかに歴史のある苗字です。つまりマスオさん方式にはなりませんでした。
我が父のみならず、実は祖父も養子なので旧姓を捨てて椙山一族の名を継ぎました。ですから女性の側が改姓が多いというのは事実ではあっても原則ではないので、その点を言い募ることには非常に違和感を覚えます。
自分の家のことはこれくらいにして表題の通り、郵趣面での問題というより課題を2点挙げておきたいと思います。まずは賛成論から。
図は私が持っている最も少ない苗字の実逓はがきです。宛名の仁専さんは「にせん」さんと読みます。山口銀行からの振込報告はがきという極めて事務的な一枚で、伝統郵趣的には特異点は何もありません。
仁専さんは山口県の厚狭郡と埼玉県にごく少数、わずか10人がいらっしゃるのみです。多分私だけでしょう、郵便物上に表記された希少姓・珍名さんも収集対象にしています。
洋の東西を問わず、また時代を問わず、何もしなければ苗字の種類は自然に減っていきます。婚姻や養子縁組などで一方の苗字に集約されるからです。仁専さんも消印のある昭和18年、つまり約80年前であればもっとたくさんの人がいらっしゃったものと思います。実逓郵便物上の記載であれば実在した苗字と判断して良いと思います。夫婦別姓にすれば希少姓・珍名さんが存続する確率は高くなります。
では逆の反対論です。別姓を支持している人の多くが女性という点です。女性は歴史を軽視する傾向があるからです。具体的に我が母と叔母について書きます。
ふたりに古い時代のことを聞いても肝心なことはまったく覚えてもいなければ記録も残していません。かつては長府毛利藩士の子であった高祖父 (曽祖父の父) は槇良三と言います。明治維新の後に長府駅前にあった旅館に婿養子に入り徳永良三と改姓します。ところが、その旅館の屋号すら覚えていないのです。自分のおじいちゃんなのになんで覚えていないんだよ?と詰問すると「生きていくうえで何の関係もないじゃん!」と逆切れする始末。
生きていくうえで何の関係もない
これ、たいへんに重要なキーワードです。同様に考えている身内・親戚の女性はたいへんに多く、とくに若い世代ほど顕著です。歴史が苦手という女性が多いのもこれが根本理由だと思われます。だからこそ逆に興味を持つ女性のことを「歴女」と呼んで特別視するのも理解できます。
つまり、夫婦別姓にすると、見かけ上は希少姓・珍名さんが存続する確率だけは高くなりますが、その由緒来歴は逆に伝わらなくなる確率が高くなります。私もそうですが、男は歴史を重視しこそすれ軽視する傾向は少ないです。重視しすぎて却って弊害がある場合すらあります。
従軍慰安婦だの強制徴用工だのといったありもしない嘘を捏造するのを阻止し、正しく反駁するには歴史が大事です。それは過去のことだけではなく、現在そして未来を正しく記録していくことでもあります。
当人が生きている一世代くらいは希少姓・珍名さんが延命はするでしょうが、その持続性は期待できないと思います。
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