March 2021
March 31, 2021
March 30, 2021
最後のかもめタウン実逓使用例求む
3月29日にプレスリリースがありましたように、遂にかもめ~るが廃止されることになりました。今夏から発行開始される「2021年絵入り葉書」がその後継郵便商品となります。
かもめ~るの廃止とともに、これまでかもめ~るだけが対象だった特定期間引受配達地域指定郵便こと通称「かもめタウン」も、対象が通常はがきに拡大され(年賀はがきを除く)差出期間も通年になります。
これまで何度も記事にしましたように自分はタウンメールも収集対象にしています。なので最後のかもめタウンとなった2020年(令和2年)の使用例を求めています。サンプル図のように「特定期間引受配達地域指定」の文言が入っていますので容易に判別可能です。お持ちの方がいらっしゃいましたらぜひお譲りください。
手押印をやめて機械印刷にしよう
日加修好80年記念の切手付き封筒です(カナダ・2009)。カナダではこれをCommemorative Envelopeと呼び、Pスタンプのファミリーと理解されます。その注目点は消印も印刷であることです。やってることはかつてのアラブ土侯国のC.T.O.と同じですが、手押印(ハンド・スタンプ)も広義には印刷の一種ですから、それを人間がやろうが機械がやろうがどちらでも構わないでしょう。特に初日カバーのような規格品であれば、同じ位置に鮮明に郵便印があることの方が商品としては優れています。
もうひとつはガールガイド100年の公式初日カバーです(オーストラリア・2010)。こちらは専用封筒に切手が貼られています。よく見る一般的な初日カバーです。面白いのはやはり消印で、インクではなく赤銅色の箔押し加工です。いわゆるホット・スタンプ方式です。つまり機械による押印です。手押印にこだわらなければこうした変化も楽しめます。
印刷による初日カバーのメリットは、切手帳に比べて製造コストが格段に安いこと、消印済なので売れたら売れただけ利益に計上できること、消印済なので額面に拘らない価格設定ができること、豪華な作りにすれば日本だけでなく外国にも割増価格で売れること、モンスター・クレーマーが押し方について付け入る隙を与えないこと、当然チョン消しも完全に撲滅できること、そして一連の事業をすべて外注できることです。
日本郵便さんはご存知かどうか、私たち郵趣家は切手のみを残し切手帳は捨ててしまいます。基本的にアルバムリーフに収まらないもの、嵩張る分厚いものは邪魔物としか見做さないからです。
March 29, 2021
March 24, 2021
津和野へ
昨2020年12月24日に逝去された安野光雅さん。ご自身も宇部市で代用教員をされていたなど、わが山口県にも所縁がおありでした。訃報をお聞きした直後から津和野の安野光雅美術館を再訪せねばと思っていました。奇しくも3月23日は私の誕生日(満60歳)、セルフ還暦祝を兼ねて行ってきました。
図は平成11年に発行されたふるさと切手「萩・津和野」です。原画作者はもちろん安野氏。これほどピッタリな切手はありません。上に山口県庁内郵便局、下に津和野郵便局の和文印と欧文印を記念押印していただきました。
「萩・津和野」とよく並べて呼称される機会が多いせいか、山口県だと誤認されている向きが多いようですが、正しくは津和野は島根県です。この機会に覚えていってください。
いつでも記念押印できるようMail & Postal Artのカバーを常に帯同しています。所属している訪問介護事業所の社員証を貼っていた一通があったので山口県庁内郵便局で記念押印していただきました。社員証は更新して使わなくなった古いものですが、転籍して最初の社員証だったので捨てずにアート作品のパーツに転用しました。
私事ながら3月23日を以て本業会社を円満退社しました。自動的にアルバイトだった訪問介護の方が格上げになりますのでちょうど良かったです。もっとも、私自身はたとえお金にはならなくとも、今後はPhilatelistそしてMail & Postal Artistの方を本業とするつもりです。
また山口県庁の1階ロビーに台南の観光スタンプが置いてあるのを発見しました。友好都市関連のことと思いますけれど、その場では活用方法が思い浮かばなかったため、とりあえずカバー裏面に押してきたものです。
道の駅長門峡でお昼ご飯をいただいている最中に正午のサイレンが鳴りました。ぬかりなく箸袋に最寄りの篠生(しのぶ)郵便局で記念押印です。なお、JR山口線の駅名「長門峡駅」と同じく、郵便局さんも長門峡郵便局に改称されれば良いのにと、毎度夢想しております(笑)。
特産品売場で観光絵はがきを数種購入。季節にもマッチする2種を記念押印してきました。まずは徳佐八幡宮のしだれ桜。郵便局は最寄り局であり名称もマッチしている徳佐郵便局です。
もう1種は十種ヶ峰(とくさがみね)のヤマシャクヤクです。地名は徳佐(とくさ)ですがお山の名前は十種ヶ峰(とくさがみね)と別の字を充てていることもこの機会に覚えていってください。
最寄り局は嘉年郵便局。マイルドな難読局でもあるので別途欧文印も記念押印していただいてきました。
目的地の安野光雅記念館では公式パンフレット表紙に津和野郵便局の和文印を記念押印していただきました。イラストの雰囲気を損なわないよう、グリーティング・シンプルの94円切手を使いました。津和野盆地を取り囲む山並みのような図案で最適だったと自己満足しています。
急ぐ行程でもありませんでしたので、この後、森鴎外記念館にも再々訪、道の駅津和野温泉なごみの里で入浴してゆっくり帰宅しました。
March 17, 2021
March 13, 2021
法令遵守、郵趣活動におけるさらなる資質の向上を
March 11, 2021
プラハ城の小型シート
郵趣4月号の担当連載記事でも取り上げます。ゲラを見ただけで素晴らしい出来栄えが察せられましたので、大急ぎで個人輸入をかけました。予想通りの素晴らしさと同時に、予想を超えた発見もありました。
本件は凹版と平版(オフセット)の掛け合わせ印刷です。ZとEの郵便等級表示部分のオレンジ色のベタ刷りあたりが平版かと予想していましたらぜんぜん違いました。赤矢印で示した郵便等級Zの藍色のプラハ城部分だけが凹版で、それ以外はすべて平版でした。ビュラン刃で直接彫刻したかのような2ヶ所のタブ部もインクの盛り上がりが一切ありません。シート下部のエンブレムも同様で明らかに平版。これらの事実はいろんな示唆に富んでいます。
一般に凹版切手と言えば、腰の強いややよれたような凹版専用用紙が使われます。印刷時に強い圧力がかかるためで、それは日本の凹版切手でも同様です。グラビアやオフセットとは全く違う強靭な用紙が使われるのがスタンダードです。
ところが、本券はその凹版専用用紙ではありません。子細に観察すると色ずれの様子から先に平版印刷されたようです。平版印刷ユニットの後に凹版印刷ユニットが接続され、平版→凹版の連続印刷だろうと推定されます。つまり、スタンダードの切手用紙であっても、平版印刷機と同じスピードで凹版印刷できる技術力がありますよという意味です。
また郵便等級Z切手も平版なのですが、非常に緻密な表現がなされています。窓のひとつひとつまでくっきりと印刷されています。この緻密さは日本の印刷局の技術水準を超えているのではないかとすら思います。
タブ部については前例があるのでおそらく次のような手順だと思われます。凹版彫刻師が原版を彫り紙に印刷します。その印刷物を高解像度スキャンして平版印刷の版下を作成し実際の切手印刷に使用。わざわざそんな手の込んだ工程を踏むのは第一にコストダウンです(凹版は製造コストが高いのです)。そして何より平版でも凹版に劣らない表現力があることの技術力の誇示です。
私自身もエンジニアの端くれでしたから職人さんたちの心意気が伝わってきます。郵趣4月号に掲載されますのでぜひお買い求めください。そしてすみずみまでルーペで観察してください。
March 10, 2021
鹿児島 山形屋の商品券発送
鹿児島市の叔母から香典返しとして商品券が届きました。ヤマト運輸の伝票を使いながら黒マジックで抹消し、実際は日本郵便の簡易書留で発送しています。検索結果(追跡記録)を参照すると、ヤマト運輸さんは登録なし。つまり最初からヤマト運輸さんには出されていないことを意味します。叔母に電話し、さらに封筒に記されている「配送のお問い合わせセンター」にも直接電話して委細を聞きしました。
香典返しは葬儀屋さんにやってもらうのがふつうですね。うちの父の場合もそうでした。ところが本件はそうではなく、叔母が山形屋の外商さんに家まで来てもらって手配したのだそうです。葬儀屋さんを通すと高いから、というのがその理由でした。
山形屋さんでは商品券の場合のみ書留で発送する決まりになっているそうで、発送部門がヤマト運輸の表示を抹消し、鹿児島中央郵便局に直接持ち込んだそうです。検索結果(追跡記録)によると3月8日20:27に鹿児島中央郵便局に持ち込まれていました。つまり、いわゆるヤマト運輸が受注し、日本郵便に下請けに出した例ではありませんでした。
それにしても、ギフトの一種なのに宛名ラベルを汚損したかのような数ヶ所もの黒マジック抹消はちょっと引いてしまうよ、とだけは電話オペレーターさんに伝えました。
実は同じものが弟宛にも送られています。さっき義妹にLINEしてガワの封筒だけきれいに残しておくようにお願いしましたところ、なんと、明日引っ越しだそうです。転居届もまだ出していないとか。郵便局の配達原簿の書き換えに数日かかるので、ふつうは転居前一週間位に出すものです。タイミングが合わないと最悪差出人戻しになる場合もあります。今日配達にならなかったらどんな取り扱いになるのかも興味津々です。
なお、ご存知の方も多いと思いますが、山形屋と書いて読みは「やまかたや」です。
March 06, 2021
収集品は自らの意志で行きたいところに行く
・・・と常々非科学的なことを言っている自分ですが、今日まさに収集品の方が私を選んでやって来てくれたとしか思えない経験をしました。
1969年(昭44)に東京で開催された万国郵便連合(UPU)大会議の際に配布されたらしきトンガ王国とビルマ(現ミャンマー)の贈呈帳です。この時は日本も4種セットの記念切手を発行しています。
「よくわからないのが出てきたんだけど」と私の目の前に出されました。もちろんその場で意味がわかりましたので二つ返事でいただいてきました。
しかし、なんでまた贈呈帳が山口県の片田舎に眠っていたのでしょうか。会議に出席した郵政省の関係者に山口県出身者がいて、たまたま入手できたのでしょうか?。もちろん、収集家向けに一定数を販売した可能性もあるにせよ、新切手の発行日に郵便局に並んでいたような凡庸なレベルのコレクターでは手に入れられなかったでしょう。そもそも、日本切手ではないので日本の郵便局では売っていなかったはずです。
常識的に考えておそらく製造数は1,000部もないと思います。また、参加国が贈呈帳を作っていたなら、ホスト国の日本の郵政省も作っていても不思議ではありません。どなたかお持ちではありませんか?
ビルマの贈呈帳表紙です。上質な紙製でリボンを結んであります。
こんな感じで当時の美麗切手をチョイスして貼り込んであります。ヒンジではなく裏糊の一部分を湿らせて台紙ページに直接貼ってあります。
1968年の「独立記念日」記念切手も貼り込まれていました。左上の男性は誰だかおわかりですか?。今まさにクーデターの渦中にあるアウンサン・スー・チー女史のお父様、惜しくも暗殺されてしまったビルマ独立の志士アウンサン将軍です。
トンガ王国の贈呈帳です。ビルマと違ってお金かけてますねぇ。図版では省略しましたがしっかりした箱に納められています。
ビルマと同じく、切手は台紙ページに直接糊付けされています。
セルフ糊式切手(シール式切手)もトンガ王国名物ですね。この当時、セルフ糊式切手は程度の低いキワ物、パチもん扱いでした。ところが今では主要先進国ではセルフ糊式切手の方がメジャーです。かくも価値観が逆転する時代が来るとは、当時は誰も予想だにしていませんでした。
トンガ王国ならではの円盤切手は大きめのヒンジで留められていました。一部のヒンジはダメになっていましたので帰宅してから補修しました。
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