営業マニュアルの変更だけで報道発表も何もないまましれっと実行されるのかな?と訝しんでいましたら、現職の方々がtwitterで呟かれ始められたので公にしても問題ないだろうと判断しました。これ以外にも引受時刻証明の配達証作成など変更が多岐にわたるため、注意喚起の意味合いでアップロードされたものと思います。
郵趣家にとってもっとも重要なのは表題の通り、来る10月1日から速達郵便物への到着印押印が廃止されることでしょう。到着印がない方が正規の取り扱いになるわけで、これまでの判断と180度真逆になります。速達便のカバーを見て「到着印がないから二級品だ」などと言ったら知識がないと笑われてしまいますから特にご注意ください。
なお、留置郵便物への押印はこれまで通り押印されます。これは変更ありません。

<最後の・・・>
去る9月18日発行の「日本のロータリー100周年」記念切手貼りの速達便を図版に掲げました。郵趣誌編集部のM編集員さんから11月号のゲラを送っていただいたときのものです。速達便がデフォルトなのでいつものように特に考えもせず残していましたが、今となっては切り刻んだりしなくてセーフ!です。
とここまで書けばピンと来られた方も多いと思います。9月25日に発行されるハッピーグリーティング切手が、到着印が押される速達郵便物に貼られる最後の特殊切手になります。切手の種類が多いので初日実逓カバーを速達便に仕立てられる方も多いことでしょう。郵便史的にも意味を持つものですからぜひしっかり取り組まれてください。

<日本の速達制度の始まり>
郵趣家ならよくご存じと思います。明治43年8月に日韓併合が行われ、同年11月に京城龍山地区で取り扱いを開始したのが始まりです。朝鮮総督府は天皇の直轄で独立行政権を持っていたため、郵便もその一部として日本本土に先駆けて導入されました。日本本土で速達郵便制度が始まったのは翌明治44年の紀元節、2月11日のことでした。
速達郵便制度ひとつをとっても大日本帝国の朝鮮経営が、いわゆる欧米の収奪するだけの植民地経営とは一線を画していたことがわかります。
<過重業務軽減>
現職の方に伺ったところバブル経済の時は大変だったそうです。宿直明けの1号便で山のように到着した速達に、定形は槌型、定形外はローラー印で到着印押印作業に忙殺されていたそうです。求人難の現在でも過重業務であることは変わりないでしょう。
そもそも普通郵便の配達スピードが格段に向上している今、到着印云々以前に速達郵便制度そのものの需要が減っているのではないでしょうか。かつて航空郵便には航空郵便料金というのを別に払っていました。それが航空輸送が当たり前の時代になると速達制度に吸収されて加算方式が消滅したように。
今では普通便でも2~3日もあれば確実に相手に届くのは当たり前。時間まで厳密に知る必要があれば、電磁記録が残る書留やゆうパックなどにシフトすれば良い・・・になるのではないかと思います。さらに言えば郵便印の時刻表示も要らなくなると思います。0-8、8-12、12-18、18-24の4区分を消印上に示すなんてアナログなことを続ける必要はないと思います。電磁記録で残す必要があるものはその制度を使い、そうでない場合は遅配でも何でも免責範囲を拡大すべきかと考えます。
<速達郵便物への到着印の始まり>
速達郵便物への到着印押印の始まりについて須谷伸宏さんが入念に調べて資料を送ってくださいました。要旨をまとめてここに発表します。ありがとうございます!。
そもそも明治時代は普通便にも到着印を押していました。日本本土内での速達制度の開始である明治44年(1911)2月11日時点でも既に到着印はありました。それが一旦廃止になったのが大東亜戦争最中の昭和17年(1942)11月4日。それが再開されたのが昭和21年(1946)9月16日。この日が今に続く速達郵便物への到着印押印の始まりです。昭和21年9月14日付の逓信広報第23号に以下明記されています。
『自局に於て配達する速達郵便物到着したるときは郵便物に日付印を押捺すべし。本公達は昭和21年9月16日から、これを施行する。』
再開の理由は、当時の速達郵便物が遅延がちだっため、速達郵便の速度を迅速にするために郵便物逓送速度を調べる意味合いがあったと推定されています。参考までに再開初期の実逓カバーも示します。出典はJAPEX’95記念出版「戦争と郵便 1941~1949」(財)日本郵趣協会(1995)のP.110です。

速達郵便物への到着印押印は今月で74周年、くしくも来年には75周年を迎えるところでしたのにたいへん残念です。
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