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January 12, 2019

硫酸瓶の歴史

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山陽小野田市歴史民俗資料館で始まった「企画展・硫酸瓶の歴史」を見てきました。ポスター写真に使われている茶色い硫酸瓶は、その名の通り硫酸を運搬するために作られた容器ですが、口部の作りが異なるだけで焼酎瓶、水瓶などの用途で山口県内ではごく普通に見られる生活用品です。うちも元は農家でしたから、かつては肥料入れなどに使っていました。

 後述しますが、山陽小野田市における焼き物の歴史は、現周南市の富田(とんだ)出身の甚吉(じんきち)が1840年(天保末年)に旦(だん)に来て窯を開いたのが始まりです。富田とはまさに私の本業会社のある旧新南陽市のその場所です。ひょんなことでそんな奇縁を知り、もう何年も前から関心を持っていました。

 その企画展があるというので開催初日に行ってきたわけです。まるで核シェルターかサイロを思わせるようなコンクリートの建物が山陽小野田市歴史民俗資料館です。

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 企画展は撮影禁止なので常設展のごく一部のみ写真に撮ってきました。読む方の理解が追従しないと思いますので以下、文字に書き起こしました。

[やきものの復活]
 須恵器(すえき)以後、久しく途絶えていたやきものが天保末年(1840年代)新南陽市富田出身の甚吉が、旦に来て窯を開きやきものの生産を復活した。のちに久野、姫井らが業をつぎ明治初年にかけて皿、鉢、片口、摺鉢等の日用雑器を生産し、旦の皿山(さらやま)とよばれた。
 その後製陶業は周辺に拡がり土管、れんが、瓦等に発展、さらに舎密(せいみ)会社(現日産化学)の創業により硫酸瓶、大正年間に焼酎瓶等を製造したが、容器の改変により衰えた。
 その甚吉の墓が下の写真です。安政5年(1858)没。墓は田平山墓地にある。

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 以上、ここまでが基礎知識部分です。これをなぜ郵趣ブログのHYPER Philatelistで扱うのか。それは明治の初め、硫酸の製造に印刷局が関係していたことも本展で紹介されていたからです。
 しかし、たいへん残念なことにメモを取るのは良いけれど、写真撮影は一律禁止のうえ図録・レジュメの類すら一切ないという厳しい状況でした。既に廃れてしまった遺物ですし、解説文も含めてとっくにパブリック・ドメインのはずなのですが・・・。
 ここで不満を書き連ねても仕方ないので、書き写してきた解説文と学芸員さんのお話を以下にまとめました。事情を斟酌していただき、私の書き取りや聞き間違い・解釈違いがあるかもしれませんのであらかじめお断りしておきます。ご心配の向きの方はご自身で本展をご参観ください。

[ごあいさつ]
 市内に点在する赤茶色に焼かれた陶製の瓶。本来の用途を終え、積み重ねて垣に利用されるなど道路や公園、軒先を飾るそれらは、明治時代にできた化学工場の製品のための容器として製造された陶製耐酸瓶であり、「硫酸瓶」と呼ばれていました。
 硫酸瓶は主に旦地区で製造されていました。旦地区は、良質な粘土が採れ、江戸時代に皿などの日用雑器を焼く窯が築かれたことから「皿山」と呼ばれていましたが、明治から昭和にかけては、硫酸・硝酸などの化学薬品を入れる耐酸瓶や形の似た焼酎瓶等を製造するようになり、最盛期には全国シェア70%とも言われる一大地場産業となりました。
 しかし、硫酸瓶の出荷で賑わった有帆川に架かる小野田橋のたもとには、大きな硫酸瓶のモニュメントがありますが、近年、その名前や用途、それらを製造していた窯が市内にいくつもあったことなどが忘れられつつあります。
 本企画展では、硫酸瓶の製造がなぜ本市の一大地場産業となったのか、その歴史を紹介し、これまで来館者の方々からいただいた「硫酸瓶って何?」という質問にお答することを目的とします。
平成31年1月 山陽小野田市歴史民俗資料館

[国産初の硫酸と硫酸瓶の製造]
 明治2年(1869)2月5日、明治政府は大阪に造幣局を設置した。貨幣鋳造には、古い貨幣や鉱山地金を分析、精製、洗浄するのに大量の硫酸を要したが、当時の日本は輸入に頼るほかなく、硝子瓶に入れてドイツより輸入していたため、硫酸は極めて高価な化学薬品であった。
 そこで、造幣局は硫酸を局内で製造するべく、イギリス人技師ローランド・フィンチを招いて、その指導の下に硫酸工場を建設。明治5年(1872)、日本で最初に硫酸の製造を開始した。
 局内で使用する硫酸は、硝子瓶に入れて運搬していたが、輸出するためには、その容器が問題になり、容器の製作を化学工業界の先覚者宇都宮三郎に委嘱した。宇都宮は京都の陶器師高山耕山に命じて土の配合、焼成の方法などを研究し、茶壺からヒントを得て、陶製耐酸瓶を作らせたが、清水焼では高価になるので信楽(滋賀県)で焼かせ、明治8年(1875)造幣局は信楽産の瓶を使用して清(中国)に輸出した。この瓶がどのようなものであったかは不明であるが、貨幣鋳造という国家事業により、国産の硫酸と硫酸瓶製造が始まったと言える。
 硫酸が輸出されるのを受け、民間で硫酸と硫酸瓶の製造が始まるが、その頃、小野田では日用陶器の製造が続いていた。
(椙山注:貨幣を作るのが造幣局、紙幣・切手・印紙・国債などを作るのが印刷局)

[民間初の硫酸と硫酸瓶の製造]
 明治12年(1879)5月、元造幣局長豊原百太郎が首唱者となり、大阪の実業家、光村弥兵衛(光出身)、藤田伝三郎(萩出身)、中野梧一(初代山口県令)その他が、資本金10万円の硫酸製造会社を組織し、工場を大阪市西成郡湊屋町に建設。翌13年4月から民間で初めて硫酸製造を開始した。硫酸瓶は信楽産(滋賀県)を使用していたが、大阪までの運搬が不便であったという。
 そこで、硫酸瓶の需要を見越した寺村富栄(滋賀県)らは陶器師高山耕山と諮り明治15年(1882)、大阪府西成郡湊屋新田に資本金1万円で硫酸瓶製造会社を設立した。明治16年(1883)、経営を硫酸製造会社に委託したが、明治21年(1888)、近代化建設が進む中、耐火煉瓦を製造する大阪窯業会社として更生、硫酸瓶の製造は明治26年(1893)まで続けた。
 明治22年(1889)7月6日、豊永長吉(元長府藩士)が発起人となり日本舎密製造株式会社が設立されると、明治24年(1891)、小野田工場で硫酸の製造を開始した。ドイツや信楽から瓶を取り寄せていたため、地元の製陶所に「ドイツ瓶」を見本に示し硫酸瓶の試作を依頼、明治26年(1893)硫酸瓶の製造に成功した。以降、明治中頃には小野田の硫酸瓶生産高が信楽を抜いたといわれている。

[造幣局、印刷局の関わり]
 以下は解説パネルの書き写しと学芸員さんの説明を記憶を辿って記します。時間軸の流れでは以下のようになります。

・明治2年(1869) 造幣局設置
・明治5年(1872) 日本で初めて硫酸を製造
・明治8年(1875) 清(中国)へ硫酸輸出
・明治16年(1883) 印刷局が造幣局を視察
・明治19年(1886) 印刷局王子製造所建設
・明治23年(1890) 御料局/佐渡支庁附属王子硫酸所が施設を引き継ぐ。
 工場設備はそのままで運用を任せた。今で言うとリースのようなもの。

 なぜ印刷局が硫酸を必要としていたかについては、学芸員さんのお話だと紙の漂白に使うさらし粉製造のためだったとのことです。
 そこで明治19年以後というと明治21-25年(1888-92)新小判切手が該当します。この時期から国産の漂白剤を使用開始していたということになります。
 しかし、明治13年には民間でも硫酸製造が始まっていますので、印刷局がいつまで自局製品を使い続けていたのかまでは不明です。漂白工程のみならず製紙そのものから小判切手収集家の皆さんの研究にお任せします。

・明治27年(1894) 日清戦争始まる
・明治28年(1895) 設備を陸軍省に譲渡

 以上で本展の解説は終わっています。

[皿山のはじまり]
 皿山とは、陶磁器生産の盛んな地域の呼び方で、「有田の皿山」など主に九州地方で使われる。
 小野田の皿山は、江戸時代の天保末年(1840年代)に富田(現周南市)で製陶にたずさわる家から旦の伊藤作右衛門宅に寄寓していた甚吉が、この地の土が焼き物に適していると語り、目出に移居していた萩藩士佐世彦七(前原一誠の実父)からの出資を受け、窯を築き、皿など日用雑器を焼いたのが始まりである。
 当時は、製品の販路も少なく盛況とは言えず、安政5年(1858)に甚吉が亡くなると、松本藤太郎が甚吉窯を経営するが長く続かず廃業した。その後、慶応2年(1866)久野彦左衛門、明治元年81868)姫井伊三郎、明治9年(1876)三好源之助などの製陶所の勃興が続いていった。
 明治24年(1891)日本舎密製造会社小野田工場ができると硫酸瓶の需要に応じ皿山は活気づき、加えて、焼酎瓶の需要もあったことから製陶所が増加し、まちの一大地場産業として栄えた。昭和26年(1951)には26製陶所を数えた。
 しかし、昭和30年代(1960年代)になりポリエチレン製容器の登場や、タンクローリーでの輸送が増えると、硫酸瓶の需要は無くなり、製陶所は徐々に姿を消していった。

※これ以上の詳細資料はFSC会報(facebook内の専用会議室)のみに掲載します。


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