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January 2019

January 28, 2019

審査員特別賞を受賞しました

2019012801 毎年暮に開催されています秋吉台国際芸術村の<ポスコン?!2019>で審査員特別賞を受賞しました。まったくの望外のできごとで私自身がいちばん驚いています。
 作品は2月11日(月・祝)まで秋吉台国際芸術村ギャラリーで展示されています。ぜひご覧ください。

参照:ポスコン?! 2019

 もともと郵趣(切手収集)をはじめとして各種紙モノ収集の癖があるのは皆さまよくご存知の通り。身の回りにあるいわゆる”紙屑”をスクラップする行為で、それ自身が芸術とは言えなくても芸術的だとは薄々感じていました。そこに昨年春、軽井沢ニューアートミュージアム様が日本で初めて、メールアートの文献を発刊されました。今まで自分がやってきたことも、視点を変え、理論を正しくすれば芸術に昇華できる可能性があることを知りました。

 その手始めにたまたまポスコンを選んだのでした。郵送での応募に加え、後で作品を返却していただけるというので、我がメールアート作品第1号にちょうど良いと気楽に考えたにすぎませんでした。幼児からご老人まで参加できる気軽な催事と思っていましたら、蓋を開けてみると応募総数1,649点、12名もの専門家・アーティストによる選抜展でした。げっ、ガチじゃん!

 1月27日(日)13:00から授賞式がありました。案の定、回りは小学生以下のおこちゃまとその親御さんだらけ。表彰順だからと前から3列目に座らされた57歳おじさんの俺でした。アウェー感満載!(笑)
 ちょうど芸術村で滞在製作中の6名のアーティストさんたちに選んでいただいたのが審査員特別賞でした。私はシンガポールのジョエル・チン氏に選ばれました。氏じきじきに賞品を手渡していただき、がっちり握手させてもいただきました。ありがとうございました。
 しかも、当日いただいたプリントの講評は完璧でした。製作者の私の意図を100%汲み取っていただけました。一言一句この通りです。ここまで理解していただけたらもう何も言うことはありません。来年以降も賞にかかわらず盛り上げ役として作品を送らせていただこうと思います。

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 これまで職業デザイナーでしたので(諸般の事情で)コンテスト応募には興味がありませんでした。なので、この受賞は天啓のように感じています。今後はメールアート (Postal & Philatelic Mail Art) 製作を中心にしたアーティスト活動にも取り組んでいこうと思います。よって2019年1月28日(月)、ここにアーティスト宣言をいたします。

[記念カードと表彰状]
 授賞式は日曜日でしたので、翌28日(月)に秋吉郵便局の風景印で記念カードの作成・発送と表彰状への記念押印をお願いしました。中野剛一局長様のご厚意に深く感謝いたします。

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 なおメールアートの本については既に私のブログでも取り上げています。興味のある方は下記過去記事を参照ください。

参照:メールアートの本


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January 25, 2019

特養待機の順番のお知らせ

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 両親の介護関係書類を弟から引き取ってきました。すると面白い郵便使用例が出てきました。寝たきりで要介護5の母の件です。弟が特養の入居申し込みをしてくれたのですが、案の定すぐに入居はできず30番目でした。
 これをfacebookで愚痴ったら怒られました。神奈川県の某氏など300番だとか。そもそも桁が違うと。30番なんてずば抜けて早いらしい。ありゃま、そうなの?。山口郵便局(地域区分郵便局)の開局初年度のインクジェット式機械印使用例だとかうつつを抜かしている場合じゃなかった。
 あれから2年経ち今は3番になりました。母にとって快適な終の住処でありますように。


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YVONNE CARRE(イボンヌ・キャル)

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 直筆サイン入り郵趣品も収集対象にしている関係で、将来の記念押印用にサイン入りプロマイドなどもチェックしています。その一環で入手したのがこれ、YVONNE CARRE(イボンヌ・キャル)さんです。

 表には"for FREDERICK - me in TOKYO"と群青色のマジックインキペンで書かれています。ファンレターをくれたフレデリックさんへのご返事品のようです。裏には日本滞在中に日本語のレコードを吹き込み、28のTV番組に出演したとあります。調べた結果、イボンヌさんは主にヨーロッパで活躍された国際派歌手さんで、坂本九さんの「上を向いて歩こう」をドイツ語などで歌っておられたようです。いわゆる”スキヤキ・ソング”ですね。3年後の2021年がレコード発売60周年にあたるので、その際のカシェにでも使えるかな?と考えての購入でした。はい、つまり「上を向いて歩こう」と私は同い年でアリマス。

 残念ながらWikiにも記載がないのでちょっぴり手こずりましたが彼女のホームページも発見できました。写真の印象は1960年代っぽいのですが、同じ写真が1970年代のBiographyに掲載されていました。その時代なら日本のテレビ局関係にも資料が残されているかもしれませんね。

http://www.yvonnecarre.com/seiten/intro.php

 ところがホームページとこのプロマイドの写真が左右逆でした。どちらかが裏焼きエラーということになります。プロマイドでは和服の襟が左前になっているのでこちらがミスと思います。着付けの先生にお願いしなければ外タレさんが自前で着られるわけがありませんし、先生が左前にするはずもありません。

 直筆サイン入りに加えて裏焼きエラー品。ちょっぴり得した気分です。


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不幸の手紙とネズミ講勧誘はがき

 いきなりなんちゅうタイトルなのかとお思いでしょうが、私にとっては大ヒットの掘り出し物です。容易に捨てられてしまうものこそが残りにくい典型例だからです。

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 不幸の手紙は2通目です。2通目にしてやっと鮮明消印が手に入りました。ご覧の通り未納不足便ということがメインのセールスポイントでした。いつものクセで裏面を見てニヤリ。裏面の方が価値アリやんか!と(個人的な見解です)。
 受取拒否もできたでしょうに、わざわざ不足料まで支払って受け取ったはがきの内容が不幸の手紙だなんて、受取人さんはなんていい人なのでしょうか。当時の規則で不足料の倍額が徴収されています。消印は島根県の江津 48.11.19です。

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 2通目は赤道配金会(あかみちはいきんかい)というネズミ講の勧誘はがきです。一時期、趣味誌関係で流行ったので記憶している人もいらっしゃることと思います。今から思えば、明らかにおかしい文面ですよね。笑っちゃうくらい稚拙ですけど当時は信じた中高生もいたんですよね。

 なぜそんなことを覚えているかというと、この会を潰したのは私だからです。

 趣味誌界でもおかしいと問題視され始め、私のところにも同じはがきが届いたので、今はなき小郡駅(当時)在来線口の駅前交番に行ってチクリました。それからほどなく会解散のはがきが来たことも覚えています。消印は長崎・佐々 52.4.14。


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January 21, 2019

2019年用年賀小型シートもAPS目打

【至急追記】
今年の小型シートはオフセンターが多いという報告が、初日にして既に多数寄せられています。私の手持ちは図版のように左下方向に寄っています。これとは逆に右方向にシフトしたシートも見つかっています。断裁ずれは近年では珍しいです。皆様もお手持品をご確認ください。ひょっとするとウェルセンター品が少ないかもしれません。(追記ここまで)

20190121001 年賀小型シートを交換してきました。今年は大高正志・光世ご夫妻、池澤克就さん、鳥飼雅美さん、田島美保代さんの4人様からの分が当たりました。どうもありがとうございます。

 今回も製造はオランダのジョン・エンスケデ社。特徴はLUCKYとHAPPYの文字列がシート地に穴あき加工されている点ですが、なかなか切手本体への装飾用穴あき加工はなされませんですね。待ち焦がれているんですけどねえ。
 裏面をじっくり観察しますと向かって左方向に紙ヤレが認められます。APS目打の特徴がはっきり見て取れますね。APS目打(Automatic Perforation System)とは、従来の金属金型による穿孔ではなく、削り取り方式による穴開け加工方式のことです。
 表面に凸型の突起物を押し当てて高速回転するカッターシリンダーとの間を通すことによって、裏側から凸部形状通りに穴を開けることができます。植村峻先生はこれを「髭剃り」と説明されていらっしゃいますが言い得て妙とはこのこと。大掛かりな凹凸両方の金属金型が不要で、自由な形の目打穿孔が可能であることからすでに多くの国で採用されています。
 LUCKYとHAPPYの文字列、切手の周囲の目打穴(右下角のハート形目打含む)のいずれもがAPS方式と思われます。

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 なお、年賀切手の発売最終日だった1月11日(金)、最寄りの郵便局さんで売れ残りの一部、62+5円の寄附金付切手を22,100円分、計17シート引き取ってきました。3等の02、42、78番を含むシートが9シート、そのすべてをシート形状のまま交換してきました。当たらなかった8シートも含めてこのまま4月20日の第2回抽選会まで待機です。
 平成最後なので追加で改元関係も押印する、シートのまま残す・・・時間はたっぷりあるのでじっくり考えます。

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January 17, 2019

平成最初のお年玉付き年賀はがき抽選会

2019011702 来たる1月20日(日)に、平成最後のお年玉付き年賀はがき抽選会が、東京都千代田区のJPタワー ホール&カンファレンスで開催されます。抽選会場に行かれる方は配布されるチラシ類など決しておろそかにされず大切になさってください。なんせ”平成最後”なのですから。
・・・という関係で、今回は”平成最初”のお年玉付き年賀はがき抽選会資料をご覧いただきます。
 この時は事前に参加応募する必要がありました。当選すると緑色の座席指定券とご招待状が郵送されて来ました。改めて申し上げるまでもなくこれがその実物です。

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 抽選会会場は横浜市市民文化会館・関内ホールでした。その際に作成財布された記念タトウ(押印台紙)です。表紙は当該年賀切手・・・くしくもこれが日本最初の、そして世界で2番目のくじ付き切手です・・・の原画があしらわれています。内側は記念押印台紙スペースとともに500円のふみカードまでセットされているという大盤振る舞いです。バブルの香りがしますなあ(笑)
 注目していただきたいのは内側の見開き左側です。抽選会に合わせてあつらえられた記念小型印は当然として、右上の1円・5円切手に消印がありません。ぱっと見では欠陥郵趣のように思えますが、実はこれが正しいのです。この当時は、記念押印に関して「一連・一群」の決まりがありましたので、この2種には押印できなかったのです。「一連・一群」の決まりが廃止され、押印できるようになったのは平成7年7月7日の後まで待たねばなりません(注参照)。

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 抽選会のプログラムもご覧いただきます。司会が夏木ゆたか、中井美穂そして柏原芳恵オンステージと懐かしい面々です。賞品にもご注目ください。衛星放送受信テレビやインスタントカメラなど時代を感じるアイテムです。

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 横浜港郵便局で配布されていた当選番号チラシです。日本郵便の社員サイトからダウンロードした当選用紙を各局で印刷・断裁しているだけの現在とは全く違い、たいへんな熱の入れようです。今では姿を消したワープロによる原稿製作そしてプリントゴッコを使った2色印刷も懐かしいですね。

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 平成最初の抽選会も29年も昔の出来事になりました。だいたい30年経つと収集の難易度の見当がつき始めるといいます。平成最後の抽選会も然り、4月20日に行われる第2回抽選会も注目です。その両方の紙モノもぜひ遺漏なく収集なさってください(不要でしたら私にください)。


(注)平成7年7月7日こと777ラッキーセブンの日、当時の郵便局が作成した記念押印台紙に「一連・一群」のルールを守っていない違反品が続出しました。規定違反で押印してあるもの、決まりを遵守したがために未押印のままのものなど、どっちにしても郵便商品としては欠陥品です。職員自身が理解できない・守れないルールでは意味がないということで、「一連・一群」の決まりが撤廃されました。


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「はたらく細胞」シール

2019011701 Aさんからテレビアニメ「はたらく細胞」シールをご恵送いただきました。いつもありがとうございます。下部に”ゆうパックスマホ割アプリ」と記名されているように、ゆうパック関連のノベルティー品です。昨2018年12月29〜31日の3日間にわたって東京ビックサイトで開催された「コミックマーケット65」で配布されました。

 日本郵便さんも荷物の搬入・搬出、また企業ブースへの出品などで参加していました。今回は荷物の搬出時に「ゆうパックスマホ割アプリ」を使って荷物を3個以上送るとこのシールが1枚もらえたとのことです。現地にゆうプリタッチの機械も持ち込まれていたそうです。

 日本郵便さんの熱心さに比べ、ツイッターでもこれをもらったという言及は数件にとどまっており、そんなに量は出ていないようです。後日のためにご紹介しておきます。


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January 16, 2019

ワールド・スタンプ・ナウ 第164回

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 公益財団法人日本郵趣協会の会報・月刊「郵趣」誌2月号が無事に校了しましたので恒例のチラ見せです。

 今月号の見どころはクリスマス切手です。タイミング的に全世界のクリスマス切手が掲載される時期だからです。それもどの国や地域のものも工夫を凝らした一品揃いです。かつてのように伝統的図案で格式があり上品かつ美しい・・・なんてのはもはや少数派です。楽しくポップなクリスマス切手のオンパレードなので、ご面倒でも世界新切手ニューズ欄は隅々までチェックなさってください。スペースには物理的限界というものがありますので、私の担当記事で取り上げたのは全トピックの1/3にも満たないのですから。

 そんな中で特にイチオシなのがこれです。カミキリムシの幼虫を食べるお祭りの切手です(笑)。文中に記しましたように、食料問題解決のために昆虫食が真面目に研究されている現代、環境郵趣の一環とも言えるテーマです。
 さすがニューカレドニア、気候に恵まれているのでサイズもでかく直径2センチ、体長7,8センチはあるとのこと。蜂の子なら大好物の私も、さすがにそんなビッグサイズをしかも生で・・・はちょっと自信ないです。
 さりながらカミキリムシの幼虫は、分布地域のほとんどで食されているそうです。かく言うわが国でも同様に食されているとか(サイズは小さいそうですけど)。どなたも美味しい!と大絶賛。おひとついかがですか?


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日本のシール式切手30周年(安全宣言)

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 平成元年7月3日、日本普通切手最初のシール切手が発行されました。その初日カバーをお示しします。何の変哲もありませんが実はそれが重要なのです。

 私は全世界の変り種切手収集の一環でシール式切手も1960年代から集めています。最初こそキワモノ扱いでしたが、1980年代末頃にはその利便性が評価され、アメリカ、カナダ、スイスなど先進国でも次々に採用になりました。しかし、シール式切手はそれまでの政府印刷局や証券印刷会社にはない製造設備が必要です。新たに設備投資をしてまで取り組むほどのうまみははないと古参の印刷会社は軒並み撤退し、アメリカ切手に至っては今ではシール・ラベル製造会社が切手製造を請け負っています。
 そこで問題になったのが品質劣化の問題です。特に裏糊の劣化は全世界で発生しています。もともと数10年単位での品質保証などあり得ないシール・ラベル業界です。わずか数年のうちにセルフ糊成分が変質し、油染みや黄化・固化する現象が多くの国で見られます。高品質で有名なオランダ切手でさえ、自然に切手が剥がれ落ちてしまう状態が起きています。

<参照記事>
警告:シール切手の劣化が始まった
シール切手の劣化

 ところが日本切手だけはその変容現象がまったく発生していません。従来の裏糊式切手同様にまず水溶性の糊層があり、その上にセルフ糊層がある日本独自の構造も関係しているのかもしれません。いずれにせよ平成31年で満30年を迎えます。日本のシール式切手に関しては品質保証・安全宣言をして良いものと考えます。

<追記>
 日本最初のシール切手は消費税導入を目前に控えた平成元年3月1日発行の「ふみの日シール切手帳」です。
 さらに、ふみの日切手帳に先立つこと約1年半前、覇砂羅大将図案のシール式切手の試作品(トライアルシート)も作られています。


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January 12, 2019

箱買い・箱売りで売買のトレーニングを

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[買う]
 福岡の即売会でのことです。段ボール箱2箱に満杯詰めの実逓便が一通100円だかで売られていました。とある紳士が興味深そうに見ておられたのでいっそのこと箱買いをと勧めました。店主も送料込みで3万円でいいですよと仰る。しかし、その紳士は決断がつかず「箱で買っても置き場所がない」と自分に向けた言い訳を呟きながら、結局抜き買いで7,000円も払って帰られました。

[売る]
 広島の郵趣イベントでのことです。私の生前処分の話を聞いた高齢収集家の方がアルバムを持参されました。しかし、話を聞いているとどうもおかしい。よくよく聞いてみると、すべてに値段を付けることができないと仰る。時間的にも無理だし、個々の思い出もあって値付けに悩んでしまうそうな。そうです、1点ずつのバラ売り前提だったのです。

 買う例、売る例とも稚拙だというのがおわかりでしょうか。数万、数十万円以上もするものでもないのに、一枚ずつちまちま売買するなんて、いい大人がいつまでもそんな近視眼的スタイルに留まっていたら人生何年あっても大したコレクションはできませんよ。大局的な視点からコレクションあるいはアキュームレーション売買にシフトしましょう。

 突き詰めればモノを持ってさえいれば勝ちなのがコレクターの世界です。細かく分類整理するなんてのは後回しでけっこう。底引き網漁のようにごっそり買って、あとでゆっくり整理すればいいのです。
 [買う]例でも7,000円といったら3万円のほぼ1/4ではありませんか。箱で買って残りをまた箱売り(転売)すればトータルで自分用は7,000円以下にすることができたはず。上手くやれば元が取り返せるどころか利益すら出ていたことでしょう。あるいは同じような箱単位で交換し合うだけでもさらに収穫品があることでしょう。

 売る場合でも箱売りを基本にしましょう。1点モノ売買で高額取引できるのはその世界のビッグネーム、トップコレクターさんだけのお話です。我々のような庶民、サラリーマン収集家とは無縁です。
 よく考えてください、1点が数百円、高くても2〜3,000円クラスのものを値付けして割りに合うとお思いか?。しかもバラ売りした残りは本当の残り物なので99.9999%以上売れ残ります。手間暇かけてちょっとは得するかもしれませんが最後に残るのは大量の不要品です。お手上げです。

 1点ずつ吟味しながら買ったり売ったりも楽しいことはわかります。ですが、できるだけまとめて大量の箱買い・箱売りにシフトしましょう。売買双方にメリットが大きいからです。
 まるで切手商さんのようだと思われるかと思います。何も切手商になれと言っているのではありません。プロのやり方を学びましょうという意味です。郵趣会例会で売買のトレーニング教室も必要なのかなと考え始めているところです。

 いずれの日にかコレクションを次世代に受け渡さなければならない時が来ます。1点ごとの値段の高い安いがいちいち気になるようではまだまだです。

(冒頭の図版は送料込み7,000円で箱買いした外国郵便のアキュームレーションです。まずは一万円以下の少額から始めてみましょう。)

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硫酸瓶の歴史

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山陽小野田市歴史民俗資料館で始まった「企画展・硫酸瓶の歴史」を見てきました。ポスター写真に使われている茶色い硫酸瓶は、その名の通り硫酸を運搬するために作られた容器ですが、口部の作りが異なるだけで焼酎瓶、水瓶などの用途で山口県内ではごく普通に見られる生活用品です。うちも元は農家でしたから、かつては肥料入れなどに使っていました。

 後述しますが、山陽小野田市における焼き物の歴史は、現周南市の富田(とんだ)出身の甚吉(じんきち)が1840年(天保末年)に旦(だん)に来て窯を開いたのが始まりです。富田とはまさに私の本業会社のある旧新南陽市のその場所です。ひょんなことでそんな奇縁を知り、もう何年も前から関心を持っていました。

 その企画展があるというので開催初日に行ってきたわけです。まるで核シェルターかサイロを思わせるようなコンクリートの建物が山陽小野田市歴史民俗資料館です。

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 企画展は撮影禁止なので常設展のごく一部のみ写真に撮ってきました。読む方の理解が追従しないと思いますので以下、文字に書き起こしました。

[やきものの復活]
 須恵器(すえき)以後、久しく途絶えていたやきものが天保末年(1840年代)新南陽市富田出身の甚吉が、旦に来て窯を開きやきものの生産を復活した。のちに久野、姫井らが業をつぎ明治初年にかけて皿、鉢、片口、摺鉢等の日用雑器を生産し、旦の皿山(さらやま)とよばれた。
 その後製陶業は周辺に拡がり土管、れんが、瓦等に発展、さらに舎密(せいみ)会社(現日産化学)の創業により硫酸瓶、大正年間に焼酎瓶等を製造したが、容器の改変により衰えた。
 その甚吉の墓が下の写真です。安政5年(1858)没。墓は田平山墓地にある。

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 以上、ここまでが基礎知識部分です。これをなぜ郵趣ブログのHYPER Philatelistで扱うのか。それは明治の初め、硫酸の製造に印刷局が関係していたことも本展で紹介されていたからです。
 しかし、たいへん残念なことにメモを取るのは良いけれど、写真撮影は一律禁止のうえ図録・レジュメの類すら一切ないという厳しい状況でした。既に廃れてしまった遺物ですし、解説文も含めてとっくにパブリック・ドメインのはずなのですが・・・。
 ここで不満を書き連ねても仕方ないので、書き写してきた解説文と学芸員さんのお話を以下にまとめました。事情を斟酌していただき、私の書き取りや聞き間違い・解釈違いがあるかもしれませんのであらかじめお断りしておきます。ご心配の向きの方はご自身で本展をご参観ください。

[ごあいさつ]
 市内に点在する赤茶色に焼かれた陶製の瓶。本来の用途を終え、積み重ねて垣に利用されるなど道路や公園、軒先を飾るそれらは、明治時代にできた化学工場の製品のための容器として製造された陶製耐酸瓶であり、「硫酸瓶」と呼ばれていました。
 硫酸瓶は主に旦地区で製造されていました。旦地区は、良質な粘土が採れ、江戸時代に皿などの日用雑器を焼く窯が築かれたことから「皿山」と呼ばれていましたが、明治から昭和にかけては、硫酸・硝酸などの化学薬品を入れる耐酸瓶や形の似た焼酎瓶等を製造するようになり、最盛期には全国シェア70%とも言われる一大地場産業となりました。
 しかし、硫酸瓶の出荷で賑わった有帆川に架かる小野田橋のたもとには、大きな硫酸瓶のモニュメントがありますが、近年、その名前や用途、それらを製造していた窯が市内にいくつもあったことなどが忘れられつつあります。
 本企画展では、硫酸瓶の製造がなぜ本市の一大地場産業となったのか、その歴史を紹介し、これまで来館者の方々からいただいた「硫酸瓶って何?」という質問にお答することを目的とします。
平成31年1月 山陽小野田市歴史民俗資料館

[国産初の硫酸と硫酸瓶の製造]
 明治2年(1869)2月5日、明治政府は大阪に造幣局を設置した。貨幣鋳造には、古い貨幣や鉱山地金を分析、精製、洗浄するのに大量の硫酸を要したが、当時の日本は輸入に頼るほかなく、硝子瓶に入れてドイツより輸入していたため、硫酸は極めて高価な化学薬品であった。
 そこで、造幣局は硫酸を局内で製造するべく、イギリス人技師ローランド・フィンチを招いて、その指導の下に硫酸工場を建設。明治5年(1872)、日本で最初に硫酸の製造を開始した。
 局内で使用する硫酸は、硝子瓶に入れて運搬していたが、輸出するためには、その容器が問題になり、容器の製作を化学工業界の先覚者宇都宮三郎に委嘱した。宇都宮は京都の陶器師高山耕山に命じて土の配合、焼成の方法などを研究し、茶壺からヒントを得て、陶製耐酸瓶を作らせたが、清水焼では高価になるので信楽(滋賀県)で焼かせ、明治8年(1875)造幣局は信楽産の瓶を使用して清(中国)に輸出した。この瓶がどのようなものであったかは不明であるが、貨幣鋳造という国家事業により、国産の硫酸と硫酸瓶製造が始まったと言える。
 硫酸が輸出されるのを受け、民間で硫酸と硫酸瓶の製造が始まるが、その頃、小野田では日用陶器の製造が続いていた。
(椙山注:貨幣を作るのが造幣局、紙幣・切手・印紙・国債などを作るのが印刷局)

[民間初の硫酸と硫酸瓶の製造]
 明治12年(1879)5月、元造幣局長豊原百太郎が首唱者となり、大阪の実業家、光村弥兵衛(光出身)、藤田伝三郎(萩出身)、中野梧一(初代山口県令)その他が、資本金10万円の硫酸製造会社を組織し、工場を大阪市西成郡湊屋町に建設。翌13年4月から民間で初めて硫酸製造を開始した。硫酸瓶は信楽産(滋賀県)を使用していたが、大阪までの運搬が不便であったという。
 そこで、硫酸瓶の需要を見越した寺村富栄(滋賀県)らは陶器師高山耕山と諮り明治15年(1882)、大阪府西成郡湊屋新田に資本金1万円で硫酸瓶製造会社を設立した。明治16年(1883)、経営を硫酸製造会社に委託したが、明治21年(1888)、近代化建設が進む中、耐火煉瓦を製造する大阪窯業会社として更生、硫酸瓶の製造は明治26年(1893)まで続けた。
 明治22年(1889)7月6日、豊永長吉(元長府藩士)が発起人となり日本舎密製造株式会社が設立されると、明治24年(1891)、小野田工場で硫酸の製造を開始した。ドイツや信楽から瓶を取り寄せていたため、地元の製陶所に「ドイツ瓶」を見本に示し硫酸瓶の試作を依頼、明治26年(1893)硫酸瓶の製造に成功した。以降、明治中頃には小野田の硫酸瓶生産高が信楽を抜いたといわれている。

[造幣局、印刷局の関わり]
 以下は解説パネルの書き写しと学芸員さんの説明を記憶を辿って記します。時間軸の流れでは以下のようになります。

・明治2年(1869) 造幣局設置
・明治5年(1872) 日本で初めて硫酸を製造
・明治8年(1875) 清(中国)へ硫酸輸出
・明治16年(1883) 印刷局が造幣局を視察
・明治19年(1886) 印刷局王子製造所建設
・明治23年(1890) 御料局/佐渡支庁附属王子硫酸所が施設を引き継ぐ。
 工場設備はそのままで運用を任せた。今で言うとリースのようなもの。

 なぜ印刷局が硫酸を必要としていたかについては、学芸員さんのお話だと紙の漂白に使うさらし粉製造のためだったとのことです。
 そこで明治19年以後というと明治21-25年(1888-92)新小判切手が該当します。この時期から国産の漂白剤を使用開始していたということになります。
 しかし、明治13年には民間でも硫酸製造が始まっていますので、印刷局がいつまで自局製品を使い続けていたのかまでは不明です。漂白工程のみならず製紙そのものから小判切手収集家の皆さんの研究にお任せします。

・明治27年(1894) 日清戦争始まる
・明治28年(1895) 設備を陸軍省に譲渡

 以上で本展の解説は終わっています。

[皿山のはじまり]
 皿山とは、陶磁器生産の盛んな地域の呼び方で、「有田の皿山」など主に九州地方で使われる。
 小野田の皿山は、江戸時代の天保末年(1840年代)に富田(現周南市)で製陶にたずさわる家から旦の伊藤作右衛門宅に寄寓していた甚吉が、この地の土が焼き物に適していると語り、目出に移居していた萩藩士佐世彦七(前原一誠の実父)からの出資を受け、窯を築き、皿など日用雑器を焼いたのが始まりである。
 当時は、製品の販路も少なく盛況とは言えず、安政5年(1858)に甚吉が亡くなると、松本藤太郎が甚吉窯を経営するが長く続かず廃業した。その後、慶応2年(1866)久野彦左衛門、明治元年81868)姫井伊三郎、明治9年(1876)三好源之助などの製陶所の勃興が続いていった。
 明治24年(1891)日本舎密製造会社小野田工場ができると硫酸瓶の需要に応じ皿山は活気づき、加えて、焼酎瓶の需要もあったことから製陶所が増加し、まちの一大地場産業として栄えた。昭和26年(1951)には26製陶所を数えた。
 しかし、昭和30年代(1960年代)になりポリエチレン製容器の登場や、タンクローリーでの輸送が増えると、硫酸瓶の需要は無くなり、製陶所は徐々に姿を消していった。

※これ以上の詳細資料はFSC会報(facebook内の専用会議室)のみに掲載します。


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January 08, 2019

追悼水木しげる ゲゲゲの人生展

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 グラントワ(島根県立石見美術館)で開催中の表題展に行ってきました。昭和36年生まれの私にとって、日本の妖怪と言えば水木先生の創り出されたイメージがそのまま自分の妖怪観になっています。おそらく世代を問わず日本国民の多くがそうでしょう。
 水木先生は、絵巻物や江戸の版本に出ている妖怪は当時の人が描いた形を尊重し、姿が伝えられていないものはその妖怪をイメージして姿を与える。・・・そのおかげで私たちは砂かけ婆、子泣き爺、一反木綿たちを身近な物の怪として親しんでします。
 また、水木先生のお仕事はそれだけにとどまりません。あまり目にする機会のないクレヨンと水彩画、絵本の挿絵など、妖怪物とは全く違うタッチの作品群にはたいへん驚かされました。とにかく絵がめちゃくちゃ上手い!。絵描きで食えるようになるには一千万円かかると言われて職業画家の道を諦めたとのことですが、そんないい加減なことを一体誰が言ったのでしょうか。あの画力があればふつうに絵描きで通用したはずです。
 一点一点じっくり見ていたら昼メシも食いそびれ、低血糖気味になってしまったのでおしまいの方はゆっくり見れませんでした。今月いっぱいの会期ですので、なんとかもう一度再訪したいと思います。(上図は「だいだらボッチと土転び」ポストカード)

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 本展は記念押印趣味の郵趣家には最適でした。前売券(左)、前売券を買うともれなくオマケでいただける変形フライヤー(中)ともに最寄りの益田郵便局で記念押印しました。展覧会ロゴの入ったポストカード(右)も販売されていましたので、それにも記念押印してマキシマムカード(MC)化し、郵趣作品に仕立てました。
 押印台紙にふさわしい余白がない、あるいは印刷面のコーティングが強すぎて消印インクが定着しづらそうな場合は図のように満月消にします。シール式で図案もおとなし目の切手をチョイスするのがコツです。また、消印の一部がわずかでも台紙にかかるようにするのは私の好みです。
 なお、よほど図案がマッチングしない限り風景印を使わないのも私の好みです。何が主役・主題かわからなくなりますのでね。

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 特に印象的だった原画ポストカードを2点ご覧いただきます。いずれもMC化しました。

・(左)車輪で遊ぶ水木少年
 自宅裏で遊ぶ水木少年と弟。自宅があった鳥取県西伯郡境町入船町は、昭和31年(1956)より境市入船町に改められた。

・(右)丸い輪の世界
 妹を亡くした少年の前に「輪」のようなものが出現。中に入ってみたところ、そこには死んだはずの妹が一人さびしく遊んでいる。丸い輪は異界への出入り口だったのだ。

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 お馴染みの鬼太郎と仲間たちのポストカードも2点ご覧頂きます。もちろんMC化しました。特に右側の目玉おやじは水木先生ならではの格言が魅力的です。
 昭和46年(1971)、先生が49歳の時、「鬼太郎」アニメの第2期放映開始と共に、再び妖怪ブームが訪れた。連載誌は12を数え、イベントにも駆り出されて疲労困憊して倒れてしまわれた。以後は仕事を減らし、睡眠の大事さ、のんきに暮らす効能に気づかされたとのこと。
 これ以外にも「のん気にくらしなさい」「けんかはよせ腹がへるぞ」など、水木先生ならではの格言を記した色紙類が展示されています。

 以下、これから参観される方へのオススメを記しておきます。

 全体に言えることですが、保存状態も良かったのでしょう、何より原画がたいへん美しいです。今の印刷技術はたいへん素晴らしいので、ふつうは原画より印刷物の方が綺麗であることが多いです。テクノロジーとともに印刷技術者の皆さん自身の能力が高いからです。
 ところが同展に限っては原画の方が良いのです。時代物の紙芝居風に描かれた「物の怪の宿」が特に美しかった印象があります。

 展示コースのおしまいの方に各界著名人から寄せられた追悼メッセージコーナーがあります。俳優の佐野史郎さんが先生に言われたというお言葉が印象的でした。
「出雲の神様が夢枕に立ってもっと出雲のことを知らせてもらわんといけんといわれた あんたもそうでしょ!?」

 最後に9分ほどの布枝夫人のインタビュー映像が見られます。その中に水木先生のお別れの会の祭壇が大きく映し出されます。その中央部分にさるお方からの献花名がはっきり見えます。しかるべき配慮を以って図録集でもその場面の写真は小さくしか掲載されていません。これもぜひ会場でご覧ください。水木先生が国民作家であったことがよくわかります。

 グラントワの後、新潟市新津美術館、広島県立美術館、水野美術館と引き続き巡回展が開催されます。


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”東京”入り向島局風景印を元旦から使用開始

2019010802収友のKさんからご恵送いただきました。ありがとうございます!。
 タイトル通り、局名の前に”東京”の表記が入った、これが初日印だそうです。日本郵便さんの風景印ページには特に何も記載はないようです。
 同一局名の有無に関わらず、郵便印と呼ばれるものにはすべて都道府県名を冠するというルールに統一した方が明快で良いと思います。大歓迎です。でも、予告くらいはして欲しかったかな。


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最古の?終活年賀状

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 平成31(2019)年用年賀では終活年賀状がたいへん増えたそうです。平成最後でもあり、前々から年賀状交換をやめたいと思っていた人たちにとっては好機だったのでしょう。しかし、”終活年賀状”なる言葉自体が出来たてのホヤホヤ、まだWikiにも項目がありません。ここでは「来年から年賀状をやめます」宣言のものに絞って、後年の資料とするために記事化しておきます。

 最初に実行した人物は誰か、記憶をたどりながらコレクションを見返しましたら、天野安治先生の終活年賀状がありました。時は平成19(2007)年用、干支でちょうど一回り前の亥年です。これが私が所持している最古(最初期?)例です。
 その当時、先生はちょうど75歳。さすがは天野大先生であります。もちろん現在もお元気で郵趣や郷土史の研究に邁進されていらっしゃいます。改めて75歳という節目を意識せざるを得ません。

 なお、この平成19年10月1日に郵政民営化が断行され、郵便局会社と郵便事業会社に分社化されました。
 天野先生に倣いまして、翌20年用から私もまた年賀状交換辞退を宣言しました(今はなし崩し的に復活)。郵政民営化に合わせてのことだと記した記憶があります。残念ながらその実物は手元にはありません。もしお持ちの方がいらっしゃいましたら、そこそこ早い時期の例と言えると思います。


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January 06, 2019

山口県立図書館初代館長・佐野友三郎

 1903年(明治36)7月、山口県立山口図書館が開館し初代館長に佐野友三郎(さの・ともさぶろう)が就任しました。図はその佐野氏の直筆サイン入り外信はがきです。内容はアメリカのプロビデンス公共図書館からの年次レポート受領に対する礼状です。消印は山口局の1912年(明治45)5月15日、翌日の神戸局中継印も押されています。

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 これはもう当該図書館に直接伺って確認するのがベスト。そこで昨年暮にリファレンスサービスを利用し、以下の2点を確認していただきました。
 まず、はがきに記されている年次レポートが現存しているかどうかです。残念ながら受け入れの記録そのものが確認できませんでした。明治末頃、佐野はみずから渡米して図書類を大量に購入していたそうです。その量があまりにも膨大だったので整理し切れていなかったのではないか?とのことでした(退職館員さんへの聞き取り調査結果)。
 次にこのサインは、例えば秘書さんのような方が代筆していた可能性もあります。佐野氏本人の真筆かどうかも確認したかったのですがこの点も不明でした。ただし、同館内にある山口県文書館には佐野の書簡が数点保管されていることを教えていただいたので、年が明けた本日1月6日(日)に伺ってきました。図は検索端末画面のキャプチャー画像です(許可を得て撮影しています)。

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 所蔵品はいずれも国内郵便物のみで表記はすべて日本語でした。ですので、厳密には真筆かどうかの筆跡照合ができなかったわけです。しかし、今後の発見・真筆確定の導きとなるよう、所有している2枚の外信はがきのうち1枚を寄贈してきました。図より1年前、1911年(明治44)の使用例です。私が個人で所有するより有意義であろうとの判断です。実物をご覧になりたい方は山口県文書館へどうぞ。

※差出から100年以上を経過している点に加え、内容そのものが公務であることから、本件はパブリック・ドメインと見なし、モザイク処理等の個人情報保護は致しません。


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January 01, 2019

年賀印の結果/山口・小郡、徳山、宇部

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 左図のお願いメモ紙をいちばん上に乗せた年賀状に輪ゴムを十文字にかけて100枚ずつ束ね、小郡、徳山、宇部各局の管内ポストに投函しました。結果はご覧の通りです。小郡は手押印、徳山は機械印です。残念ながらインクが薄すぎて読みにくい。宇部に至っては完全に無視されました。
 去年は小郡郵便局の窓口に持参し直接手渡しでお願いしました。そこまでしないと適当にやられてしまうのですね。

 お年玉付き年賀はがきへの年賀印押印は”省略できる”であって”押印できない”ではありません。これを押印禁止と誤解している局員さんが失礼ながら大多数のようです。
 郵便印がないのは差し出さないでうっちゃっておいたものと区別がつきません。郵便印あってこその年賀状と考えます。郵政民営化の際に一度は年賀状交換を辞退させて頂いた私ですが、父の死去を知らせる等の止むに止まれぬ事情があり、昨年から年賀状を復活させました。ですが、私個人は外国切手収集がメインですし、郵便印もない年賀はがきに手間暇とお金を使うのはアホらしいです。抽選のチェックをした後、郵便印のないものは捨てています。価値が感じられないからです。

 来年の新元号最初の年賀状は、山口県内の各取集め局にくまなく分散させて差し出してみます。年賀印押印の依頼書を添えて投函し、その印影が薄いなどの満足できないレベルだったり、あるいは今年の宇部局のように完全無視されるような、そんな不満足が50パーセントを超えるようなら、ふたたび年賀状交換をやめることにします。価値が感じられないからです。


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沖縄・北谷の海底ポスト

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 古川貴子さんから実逓便をお送りいただきましたのでご紹介いたします。他の海底ポストと同様に専用のはがきがあり、北谷町の16ショップにて1枚500円で販売。北谷町海域利用事業所協力会が週に2回ほど回収して郵便局に届けるしくみです。
 古川さんの証言によると切手を貼っていない状態で海底ポストに投函されたそうです。回収後に協力会さんの方で62円切手を貼り、北谷宮城局さんが風景印を押印して発送してくださったようです。耐水紙(ユポ紙?)のせいか記念スタンプ・風景印ともにインクが流れ気味ですけれど、これこそが実逓の証と言えるでしょう。
 未使用はがきも送っていただいたのであわせてご覧いただきます。なお、ショップ名は販売店で押されたゴム印です。

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[付 記]
・2016(H28).4.20
 海底ポスト設置。同日から郵便取扱開始。
・2016(H28).6.27
 北谷宮城郵便局で風景印使用開始。

[参照記事]
波の上うみそら公園海底ポスト

※「海中ポスト」「水中ポスト」「海底ポスト」とさまざまな呼称が使われています。HYPER Philatelistブログでは当面の間「海底ポスト」で用語統一いたします。


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謹賀新年

2019010101日本の国際捕鯨委員会からの脱退も決まり、今年からやっと大好きな鯨肉がお手軽なお値段で食卓に上るであろうことがたいへん楽しみです。

 また、2018年12月31日にはアメリカ・トランプ政権のユネスコ脱退も正式に決まりました。

 世界を覆う”結果に無責任なリベラル”のまやかしの本性が確実にあぶり出されてきています。

 Philatelyというごく狭いジャンルではありますが、世の中の本当の姿を映す鏡のようなものです。自分は自分に与えられた立場で、結果に責任を持つ生き方を心がけていきます。

 今年もよろしくお願いいたします。


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