郵趣家は死んで郵趣品を残す(1)
郷土の郵趣研究の一環で消印収集をしていることは以前にも述べました。と同時に郷土で活躍した郵趣家のこともきちんと記録を残していく必要性があると考えます。その一例として藤本敏一さんのことを取り上げます。
アメリカから里帰りされたとおぼしき風景2銭切手5枚バラ貼りのカバーです。消印は山口・小郡 (昭)11.10.12で特に珍しいものではありません。ところが裏面の封緘シールに藤本金物店とあるではないですか。我が椙山家が所有していた玄米保存用の大きなブリキ樽は、かつて祖父が同店に特注して作ってもらったものでした。そして現当主の藤本信夫さんは私のfacebookの先生です。私同様、藤本さんからfacebookの初歩を教わった生徒さんは多いことでしょう。
一般公開の前にこの里帰りカバーを藤本さんに見ていただきました。すると思いがけないあれこれをご教授いただくことになりました。差出人の藤本敏一さんは信夫さんの大叔父に当たる方だそうです。文通を通して全世界の切手を集めていた切手収集家でもあったとのこと。昭和11年で全世界対象とはまず間違いなくトップコレクターの一員であられたことでしょう。いずれ上京した折に切手の博物館の図書館で当時の郵趣会会員名簿を確認したいと思います。藤本敏一さんのお名前もきっと見つけることができると思います。
物語はまだ続きます。当時、藤本金物店はたいへん繁盛しており、其中庵を結んでいた種田山頭火と交友があったそうです。山口市立小郡文化資料館が発行した「其中庵時代の山頭火」にも往時の模様が記されています。
『小郡の老舗である藤本金物店では、山頭火が行乞帰りにふらりと立ち寄って、藤本家の赤ん坊(後の四代目・藤本久夫氏)を抱いてあやしながら酒を飲んでいたという。俳句好きの二代目・藤本敏一氏が、山頭火によく酒を飲ませていたそうで・・・(後略)』
そんなご縁があったことから信夫さん自らが「山頭火没後70年記念」フレーム切手(2010)の発行を働きかけたのだとも。過去の事績がこうして現代に繋がりました!。
ただし、まだひとつだけわからない事柄があります。宛先のTHE INTERNATIONAL LEGIONという団体(?)についてです。ネットでググっても判然としません。事前に宛名ラベル用紙が送付され、それを使っているところから、敏一さんご自身もこの団体のメンバーであったことが察せられます。裏面に押されているU.S.C.E.19861というのは敏一さんの会員番号と解すれば自然に思えます。この点については引き続き調査をしたいと思います。
我が山口県にもこうして戦前から偉大な切手収集家がいたことがわかりました。虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残します。郵趣家はさらにその名とともに郵趣品も残します。藤本さんにとどまらず郷土山口県で活躍した、あるいは県出身の郵趣家に関する郵趣品とその人となりを収集・記録していきたいと思います。どうぞご協力ください。
おしまいになりましたが、冒頭の実逓カバーについてモザイク処理等一切の制限なく全面公開を快諾していただいた藤本金物店現当主の藤本信夫さんに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
参照:藤本金物店
(20220805)新発見資料紹介のため「郵趣家は死んで郵趣品を残す(2)」を追記しました。
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