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March 29, 2015

まやかしの琉球独立党運動

2015032901

 

 アメリカ軍政下の沖縄で行われた行政主席選挙の選挙はがきです。立候補者に支給されたもので、裏面を印刷はしたものの、いかなる理由からか使われることなく今に残されました。しかし、実際に選挙が行われたのは1968年11月10日の一回こっきりでしたので時代特定に悩むことはありません。そんな中途半端な選挙はがきの何が興味深いのかと申しますと、この野底(のか)武彦氏こそが最初に琉球独立運動を始めた人だからです。

 1972年(昭47)の沖縄復帰当時の私は11歳、小学校6年生でした。復帰の立役者は郷土の誇り・佐藤栄作首相その人であり、その祝賀の雰囲気はよく覚えています。後に郵趣家となった時も目にする郵趣品は復帰を祝うものばかりで、復帰に反対するものや琉球独立をメモリアルしたものはただの1点も目にしたことはありません(注)。そんなマイナーな独立運動は、果たして政治活動と呼べるほどの組織や規模があったとはおよそ信じられません。事実、野底氏の選挙の結果は惨憺たるものでした。wikiによれば以下の通りです。

投票率:89.11%
得票数
・屋良朝苗 237,643票(当選)
・西銘順治 206,209票
・野底武彦 279票

 まったくお話になっていなかったのは明瞭です。江戸時代の島津藩がどうの、廃藩置県の時の琉球処分がどうのといった大昔の話を、あたかも今起きているかのように妄想した一種の変人扱いだったのです。誰からも相手にされていなかっただけにすぐに活動停止に陥ってしまいました。今のように反日左翼の島外人・外国人の「余計なお世話」がなければ、本来、沖縄独立などただの絵空事に過ぎないのです。
 亡くなる2年ほど前の2007年(平19)に有名無実と化していた党首の座を屋良朝助 (上記の屋良朝苗とは別人) に譲り自らは名誉党首となりました。体良く屋良に利用されただけですな。その屋良自身も一度たりとも選挙の当選実績はありません。

 野底氏が始めた琉球独立運動は実質的に沖縄本土復帰時に潰えています。現在の反日左翼運動とはなんの連動もありません。外国勢力に利用されることなどあってはなりませんし、万一、利用されているとしたら日本国の名誉にかけて壊滅すべきです。沖縄は日本国です。

(注)復帰後の円ドル交換作業に際して用いられた通貨確認申請書に押された確認印の「祝復帰」の祝の字を削った例が知られています。これを以て本土復帰は沖縄県民の総意ではなかったかの如く妄想する輩もいますがそれは解釈が全く間違っています。せっかくの物証が残されているのに何をとち狂ったことを言っているのでしょうか。
 ごく一部の左翼団体がクレームをつけたから妥協の産物として削っただけで、その左翼の連中が円ドル交換を拒否してドルに固執したわけではありません。相変わらずの表面的で余計な示威行為でしかありません。正しく解釈するとしたら「反対した左翼活動はその程度の成果しかなかった」と言うべきものです。

 

 

 

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