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December 2014

December 30, 2014

世界ジャンボリー1971

2014123001 1971年(昭46)8月2日から静岡県富士宮市の朝霞高原で第13回世界ジャンボリー大会が開催されました。前年に開催された大阪万博の余韻か、ジャパン・マネーを狙っての便乗記念切手が世界各国から発行されています。その中でも笑ってしまうのがリベリアです。

 アメリカで解放された黒人奴隷のアフリカ帰還政策の結果誕生したのがリベリア。紆余曲折はありますが、というより紆余曲折だらけなんですが(笑)、様々な面でアメリカの影響を強く受けています。お示ししたボーイスカウト・オブ・アメリカ(BSA)のポストカードが発行された1968年頃は比較的に内政が安定していました。そのせいか、BSAのオフィシャル・アイテムであるポストカードの写真をまんまパクっちゃった切手を発行しています。わかりやすく切手画像の方を目いっぱい拡大してみました。
 ポストカードにはコピーライトもしっかり表記してあるのにあっさり無視(笑)。当時の著作権に関する認識は、かくのごとく有形無実だったのでしょう。日本以外のボーイスカウトたちも同様にしてポストカードからパクられてリベリア切手になっています。著作権、権利関係に興味のある方はどうぞ。

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 来年2015年(平27)7月には第23回世界スカウトジャンボリーが、ここ山口県は山口市阿知須のきらら浜で開催されます。ふるさと切手ぐらいは発行されるだろうとたかをくくっていましたら、れっきとした正刷切手での記念切手発行とのこと。びっくりです。

 BSAの日本人スカウトの少年、彼は一体誰でしょうか。もしご存命なら直筆サインなどをお願いしたいものです。

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December 24, 2014

エドワード・ガントレットさんを知っていますか?

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2014122402 秋吉台科学博物館に一歩踏み込むと3人の胸像が置かれています。いずれも秋吉台・秋芳洞の研究・開発に貢献した人物です。向かって左端にひとりだけイギリス人の像があります。主の名はエドワード・ガントレット。1868年(明元)にイギリスのウェールズ州で生まれ、1890年(明23)に来日し、英語やラテン語の教師として働きました。その彼が山口高等商業学校(今の山口大学)に英語教師として赴任してきたのは1907年(明40)、39歳の時でした。

 秋芳洞の学術調査を初めて行った人物の一人がこのエドワードさんです。来山翌年の1908年(明41)には山口高商の学生さんたちを引き連れて秋芳洞の探検に乗り出しました。彼の妻の恒(つね)さんの手記によると、エドワードさんは自分の体にロープを巻きつけて洞内奥深くまで探検されました。その時の「秋吉台山洞穴略図」は今も県立山口図書館で大切に保管されています。

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 また、1909年(明42)にはイギリスのヨークシャ・ランバーズクラブ会誌に秋芳洞の記事を美しい絵や測図とともに紹介されました。それが初めて秋芳洞を世界に紹介することになりました。さらに長門峡の紹介も行うなど、わが山口県民には忘れ得ぬ大恩人であります。このことから、くだんの胸像が設置されているわけですが、その人となりが忘れられがちなのはたいへん残念なことです。

 山口に住まわれていたのは1916年(大5)までの9年間です。その間に差し出された実逓カバー(実際に郵便で運ばれた郵便物、封筒のこと)を運良く入手することができました。明治44年(1911)4月25日に山口郵便局で差し出され、4月26日に神戸から船便でアメリカのクリーブランドまで送られた国際書留郵便物です。
 さらに封筒の表裏に”EDWARD GAUNTLET / YAMAGUCHI”等の表示があるのは当時の名士の習慣で、名入りの自分専用封筒や便せんをあつらえていたものです。このことが差出人を特定する有力な証拠のひとつともなっています。

 エドワードさんの功績は多方面に及んでいます。宣教師の資格を持っていたことから日本の教会におけるパイプオルガン演奏の普及にも貢献されました。しかも妻の恒さんの実の弟があの大音楽家・山田耕筰で、直接彼に西洋音楽を指導されました。ゆえに広義の音楽関係アイテムであるとも言えます。さらにエスペラントの普及や、英語教育では岡山大学、金沢大学、一橋大学での功績も多大なものがあります。

 2014年12月24日、裏付け調査のために秋吉台科学博物館に直接伺ってきました。そこではより詳しいご説明をいただきました。特にエドワードさんは上記の他にも多彩なご趣味があり、下図のような装飾文字も多数残されていること。そして子孫の方が今も山口市にご健在であることもご教示いただきました。改めて御礼申しげます。

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参考:秋吉台・秋芳洞の人物史4「エドワード・ガントレット」
   秋吉台科学博物館(昭和60年3月25日発行)

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December 17, 2014

年賀タウンメールによる特殊詐欺被害防止キャンペーン

100101_02 2年前の2010年元旦に年賀タウンメールについて記しました。最初は2006年用年賀で東京都と政令指定都市でのみ試行され、翌2007年用から全国で実施されたもので、記事を書いた当時はまだまだ物珍しい印象がありました。あれから5年、2015年用では注目すべき使用例のニュースがありました。

[山口県長門市]
 12月1日(月)、長門市役所で特殊詐欺被害防止「年賀タウンメール」贈呈式が行われました。これは、県内において頻発している振り込め詐欺などの特殊詐欺被害を防止しようと市内の51事業所が協賛して「年賀タウンメール」を長門防犯対策連合協議会に贈呈されました。この日行われた贈呈式では、協賛事業所を代表して株式会社油谷住建の藤永久美子さんが長門市防犯対策連合協議会会長の大西市長にはがき5,600通を贈呈しました。はがきには特殊詐欺被害防止を呼び掛けるメッセージが印刷され、元日に市内の高齢者宅へ発送されるということです。

[山口県美祢市]
 12月6日(土)、美祢市役所でも、市内の協賛企業(金融機関、事業所、飲食店等30団体)の代表者3名が市防犯対策協議会に寄贈する特殊詐欺被害防止広報に活用目的の年賀はがき3,300枚を、副市長から美祢郵便局長に贈呈されました。TVニュース映像では既に特殊詐欺被害防止を呼び掛けるメッセージが印刷された状態で、長門市と同じく元旦に市内の高齢者宅に配達されます。

 以上はマスコミ各社報道および山口県警の報道発表を要約しました。また、長門市では2014年の残暑見舞はがきの時から同様の取り組みを行っています。振り込め詐欺事件が後を絶たず、むしろ増加傾向にあることから年賀タウンメールに着目した素晴らしいアイデアだと思います。日本郵便さんももともとはダイレクトメール市場への切り札として開始した配達地域指定郵便ですから、防犯キャンペーンの用途というのは歓迎すべき展開であることでしょう。
 この傾向はおそらく山口県だけのことではないでしょう。郵趣家のみなさん、消印のない面白みのない官製年賀はがきだと軽視せず、郵便史上重要な使用例であるとの認識で、ぜひとも積極的な収集・記録・発表をお願いいたします。

<参考>
・配達地域指定郵便物
 http://www.post.japanpost.jp/service/discount/townmail.html
・ビジュアル日本切手カタログVol.3 年賀・グリーティング切手編P.136

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December 16, 2014

まさかの図案ミス

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 図版だけでもうおわかりですね。売価35円および差出人郵便番号枠が抜けています。種類が多すぎてコレクターにも飽きられてしまったエコーはがきではありますが、丹念に見ていくとこうした変り種に気がつきます。おそらく単純なケアレスミスでしょう。

 それにもまして時代を感じさせますね。広告面に1ドル144.60円で計算した結果云々の文言が見えます。1985(昭60)年9月のプラザ合意により240円から徐々に円高に推移していき、1995年(平7)4月には79円75銭の最高値を記録します。1996〜2008年までは100〜125円時代でしたから、ebayの拡大と合わせて、この頃に郵趣面でもずいぶんと輸入が増えたように思います。

 なお、通商産業省は2001(平13).01.06に経済産業省に改称されました。日本貿易振興会(ジェトロ)は2003(平15).10.01に独立行政法人日本貿易振興機構(ジェトロ)に、財団法人製品輸入促進協会(ミプロ)は2004(平16)に財団法人対日貿易投資交流促進協会に、さらに新公益法人制度の施行に伴い2013(平25).04.01に一般財団法人対日貿易投資交流促進協会(ミプロ)になりました。スポンサー名義にも時代の変化を感じますね。

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December 08, 2014

大東亜戦争開戦73年

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 1941年(昭16)12月8日の真珠湾攻撃、同10日のマレー沖海戦で大東亜戦争が始まって73年になります。
 23年前の1991年、当時のブッシュ(父)大統領自らがホワイトハウスで図案を発表したのがこの「第2次世界大戦50年」記念切手シート(10種連刷シート)です。シート中央には大きな余白を設け、そこに1941年時の枢軸国側が攻撃または制圧した地域と戦闘地点を示す世界地図を描き、アメリカ参戦までの経緯を周囲10種の切手で表しています。
 当時の解説文を読むと、連合国側から見た偏った歴史観で汚らわしい限りです。しかし、いまだに基本的には何も変わっていないことに対しては我々自身の努力不足を反省しなくてはなりません。頭から湯気が出そうなひどい文章ですが全文を掲げることにしましょう。

切手図案は上段左上から
(1)中国への物資補給路ビルマ道路
 アメリカは日本と戦闘中の中国にこの道から物資を援助した。
(2)参戦前、徴兵制によって軍事訓練を受ける若者たち
(3)連合国側への武器貸与
 アメリカは、イギリスの戦争資金が底をついたため、41年3月には武器貸与法を可決し、正式に対英援助に踏み切った。
(4)大西洋憲章発表
 F.ルーズベルト大統領と英首相チャーチルはカナダ沖で会談し、枢軸国側に対する戦争目的を明確にした。
(5)アメリカは”民主主義を守るための武器庫となる”
 41年10月、武器貸与法がソ連にも適用される。

下段左から
(6)41年10月31日、航行中の米駆逐艦ルーベン・ジェームズがドイツ戦艦に撃沈される
(7)市民の防衛
 ガスマスクでアメリカ本土戦に備える。
(8)初めての救助船が41年12月30日出航
(9)41年12月7日、日本の真珠湾攻撃ー下図左
(10)真珠湾攻撃の翌日、アメリカは日本に宣戦布告ー下図右

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 といった具合で、そもそも米英蘭がアジア地域を植民地化していた事実に対する反省は見事に皆無。アメリカの言う正義とは、民主主義の名を借りた欺瞞であると、彼らはベトナム戦争に負けた1975年になっても本当に理解できたのかどうか非常に疑わしいものがあります。
 侵略と言うか解放と言うかは単に立場の違いによるものでしかありません。我が大日本帝國は断じて侵略戦争は行っていません。自分が生きている間に誤った歴史認識が正されることを強く望むものです。

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昭和天皇皇后訪欧記念カバー

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Hirohito02 1971年(昭46)11月の昭和天皇皇后訪欧は日本でも記念切手が発行されています(左図)。今回入手したのは訪問先の西ベルリン側で作成された記念カバーです。肖像写真を大きく取り入れたカシェはたいへん好ましく思います。
 しかし、惜しいことに記念印に描かれている菊花紋(十六八重表菊)が間違い。天皇家の正しい紋はセンターに花弁が来ます。日本の小判、菊以降の切手に描かれている紋もすべてこのデザインであること、これは郵趣家なら常識ですよね。ところが、元教育者であった自分の父親も知らなかったことに驚きました。一般の方がご存じないのであれば、あえてこの場で記す意味もあろうかと思います。
 天皇家のそれとの重複は畏れ多いからと、まさに記念印に描かれている通りのセンター花弁位置をずらした紋を使うこともありますけれど、この場合は正規のものを使うのが筋です。西ベルリンの郵政当局および郵趣家のご厚意には感謝しますけれど、残念ながら図案ミスのジャポニカ・アイテムになります。
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