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November 15, 2014

野蒜米商会所

2014111501

 某君が世話してくれて付箋付き郵便物の小ロットを入手しました。その中でおや?と思ったはがきがありました。明治22年1月の使用例です。「宮城縣下 野蒜米商会所 御中」の宛名だけで投函しているのがすごい。

 米商会所(べいしょうかいじょ)とは、今はなくなりましたが米の先物取引を取り扱う市場です。明治維新で大阪堂島の市場が廃れたのを憂い、渋沢栄一が活動して全国各地に設立していきました。差し出しもまた同業の近江米商会所です。相互間でお米の流通があったのでしょう。
 興味深いのは政府主導による野蒜の開発と中止です。渋沢栄一記念財団の記録によると1878年(明11)7月に「宮城県桃生郡野蒜に於て内務卿大久保利通の主唱により政府一大商業港市を起さんとし、是月其築港工事に着手せり。栄一、渋沢喜作・戸塚貞輔等と謀り、同地に地面を求め倉庫家屋等を新築して経営に着手せんとす。然れども政府其築港事業を中止するに到り、栄一等亦其計画を廃す。」とあります。ネットでググっただけでは理由がわかりませんでしたが、明治18年には野蒜築港事業自体が中止され、新市街地はそのまま放置されたそうです。そこに作られていた野蒜米商会所や電信分室(板橋くんここ要注意)なども次々に移転していったそうです。

 はがきをよく見ていきましょう。近江大津22.1.9差し出しで陸前野蒜21.1.14に到着しています。この宛名書きですから旧所在地に送られたものの、すでに移転した後だったので「石巻ヘ廻ス」の付箋をつけて転送され、陸前石巻22.1.15の到着印が押されています。この状況だと無事に届いたものと思われます。

 野蒜新市街地は先の東日本大震災でも直接の被害を受け、各種記念碑も根こそぎ倒壊・流失しています。いろんな意味で興味深く意義深い一枚のように感じます。宮城県の方に詳しくリサーチしていただきたいと切望します。

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