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August 2012

August 28, 2012

山尾庸三生誕175年

2012082801 今年2012年10月8日は長州ファイブの一人、山尾庸三の生誕175年にあたります。ご存知山口市秋穂二島のご出身なので、さっそく昨日、二島郵便局に直接伺ってきました。残念ながら慶祝アイテムの製作、記念小型印使用の計画等は何もないそうです。予想通りではありました。
 地元より他の地方のかたがたの方が功績をよくご存知なのは忸怩たる想いがありますけれど、いずれにせよ、10月8日には記念押印に参りますからよろしく、とご挨拶して帰ってきました。

<Wikipediaより>
 山尾 庸三(やまお ようぞう、天保8年10月8日(1837年11月5日) - 大正6年(1917年)12月21日)は、幕末から大正時代の人物。子爵。長州藩士山尾忠治郎の次男。周防国吉敷郡二島村(現・山口県山口市秋穂二島)出身。
(略歴)
 江戸で航海術を学ぶ。
 文久2年(1862年)、塙忠宝を、伊藤博文とふたりで暗殺した。
 文久3年(1863年)、密航でロンドン・グラスゴーに、伊藤博文・井上馨・井上勝・遠藤謹助と共に留学し、長州五傑と呼ばれさまざまな工学を学ぶ。
 明治元年(1868年)に帰国。帰国後に工部権大丞・工部少輔、大輔、工部卿など工学関連の重職を任された。新たに創設された法制局の初代長官も務めている。
 のちの東京大学工学部の前身となる工学寮を創立。
 聾を患う身体障害者の人材教育に熱心に取り組み、明治13年(1880年)に楽善会訓盲院を設立した。

 図は維新百年記念公園(財団法人山口県施設管理財団)が発行した長州五傑と題する絵はがきをベースに写真合成したものです。こんな感じで10月8日の記念押印を行おうかと考えています。ただし、二島局の風景印は周防大橋と養殖クルマエビを主題にしているので記念印としてはふさわしくないかもしれません。ふつうに和文印にする可能性も考えています。

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August 27, 2012

第3次・先住民シリーズに日本の舞妓さん登場

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 国連郵政部が10月11日に発行する第3次・先住民シリーズに日本人として京都の舞妓さん(原文はMaiko of Kyoto)が登場します。ニューヨーク本部用、ジュネーブ事務局用、ウィーン事務局用それぞれに6種連刷小型シートが発行されますが、このうちニューヨーク事務局用に日本人が採用されました。ちなみに同じシートには他にナミビア、チベット、エチオピア、モンゴル、タンザニアが採用されています。
 さらに公式FDCのカシェにも同じ舞妓さんの絵が用いられています。切手もカシェもアーティストのStephen Bennett氏の作品です。
 そりゃまあ先住民と言えば確かにそうですが、こういう扱いをされると何か奇妙な感じですね。日本人の代表に七三に分けた髪にメガネかけたサラリーマンを出すわけにはいかないにしても、やっぱり外国人の目からはフジヤマ,ゲイシャガールなんでしょうか。日本人の個性って何なんでしょう。またチョンマゲにしましょうか?。
 なお、これを読んでいる「マイコ」さん、同名のよしみで1枚いかがですか?。日本での輸入販売が始まりましたら改めてインフォメーションいたしますので少々お待ちください。
(図版は国連郵政部発行Philatelic Bulletin No.104より)

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August 26, 2012

追悼・ニール・アームストロング氏

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 人類初の月面着陸を果たしたアメリカの宇宙飛行士、ニール・アームストロング氏が亡くなられました。この8月に受けた心臓バイパスの術後に合併症を起こしていたそうです。82歳。
 アポロ11号が月面に着陸したのは1969年(昭44)7月20日、日本時間21日6:17。当時、私は小学3年生。朝早くに母に起こされてテレビを見ろと催促されました。ブラウン管にはなんだかよくわからないモノクロの画像が、これまた何言ってるかわからないもごもごの音声とともにうごめいていました。人類が月に到着しただの、山口市仁保のパラボラアンテナで受信したテレビ放送だからどうたらこうたら言われたようなのですが、小学生には退屈なものでしかありませんでした。そこはそれ、男子のおばか真っ盛りと言われる小学3年生ですから(笑)二度寝しに布団に戻ったことでした。

◆アポロ11号月面着陸記念(イラン・1969)
 今では考えられません、イランがアメリカを讃える記念切手を出すなんて。1979年(昭54)にイスラム革命で王制が倒されるまでは、パーレビ国王はむしろ極端な親米路線を敷いてました。それが革命の原因ともなったのですが、それにしても月面着陸から6日後の7月26日の発行は異常な早さです。現在伝えられているところでは切手発行が決定されてから3日後の発売だと記録されています。
 平版印刷の簡素な作りではあってもこれを3日でというのは信用しかねます。おそらく、ダメもとでわずかな数量を前もって用意していたのではないかと思われます。日付を入れない方が安全策なのにあえて印面下部に21 JULY 1969の日付(イランの現地時間)が入っていることも賞賛されて良いでしょう。実際に首都テヘランの郵便局では初日で完売。自動発送サービス分も6割カットされています。最終的には20万枚の発行となっています。
 見た目に粗末なでき映えですし質の悪い当時の裏糊のために状態は芳しくありません。人気の薄い国ということもあって上記のような素敵な物語もあまり知られていないせいでしょう、今でも雑品扱いの1枚10円〜100円のコーナーに埋もれていることがよくあります。

◆アポロ11号月面着陸1周年記念(台湾・1970)
 3種セットのうち3人の宇宙飛行士を描く1種をご覧にいれます。当時のオフィシャル・フォト通りの並び順だとすれば、左からニール・アームストロング(1930-2012)、マイケル・コリンズ(1930-)、エドウィン・オルドリン(1930-)のはずですが、なんせ似てなさ過ぎなので。はい、私は「似てない肖像切手」という超絶マニアも呆れるテーマで入手したものです。うそです(笑)。原画やデザインは台湾で用意されたものですが、実際の印刷・製造は日本で行われた切手だから入手したというのが本当です。今も日本銀行券を印刷している国立印刷局こと行政改革前の大蔵省印刷局で作られました。
 大蔵省印刷局が初めて手掛けた外国切手も台湾で「蒋介石総統生活図片」と題する3種+小型シートを1955年(昭30)に製造したのが第1号です。1958年(昭33)に発行した「昆虫」と「蘭」がLIFE誌の国際版(1960年2月号)で「世界の優秀な切手」のひとつとして紹介されたことから同局の技術水準の高さが一気に全世界に知られるようになり、外国からの切手製造受注が有利に展開することになりました。同局は最終的に1955-75年の20年間に250種以上の台湾切手を製造しています。これはフィリピンに次ぐ第2位の多さです。
 こちらも今でも容易に入手できる部類の切手ですから話のネタにぜひ入手してください。

 以上、ちょっとひねった2国から発行されたアームストロング氏関係アイテムをご紹介しました。

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August 25, 2012

すかしの製造過程を表現した切手

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 第12回ファンタスティック・オークションの準備作業の過程で非常に興味深いスウェーデンの切手帳が見つかりましたので後学のために記録を残しておくことにいたします。
 1990年8月8日に発行された「製紙業」と題する4種横連刷を2組収める切手帳です。注目は左から2番目、すかしを題材にした切手です。背景は切手用紙にすかしを入れるダンディロール(大きな円筒状の細かい網の目の金属ロール)。抄紙機(しょうしき)の上で紙が乾かないうちにダンディロールを転がすと凸状の王冠マークが紙に食い込み、そこだけ薄くなってすかしの模様ができあがる様子を描いています。本来、すかしは偽造防止のための伝統的な技術ですから、すかしを描いた切手はありますが製造工程を表現した切手というのは他に見た記憶がありません。さらに図案の切手用紙には既に目打があります。目打を描かないと切手用紙だとわからないためにあえてそうしたのでしょうが、厳密には抄紙段階で目打が入っているわけがありません。ちょっと意地悪ですけれど、そういう解釈もありえます。トピックとしてたいへん面白いアイテムだといえましょう。

※図案は向かって左から
・17世紀の製紙作業
・切手のすかし
・スウェーデン製の紙に印刷された海外の新聞
・現在の製紙機械

(参考文献:スタンプマガジン誌1990年11月号P.23)

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August 24, 2012

外交文書を書留郵便で送る?

 読売新聞さんが奇妙なニュースを伝えています。一部を引用させていただきます。

<その1>
 韓国の聯合ニュース(電子版)は23日夜、李明博韓国大統領の竹島上陸や天皇陛下への謝罪要求に遺憾の意を表明した野田首相の親書について、日本側が返送受け取りを拒否したことから、書留郵便での送付措置が取られたと報じた。
 聯合電は郵便がどこから送られたかなど詳しい経緯に触れていないが、東京の在日韓国大使館が外務省宛てに送付したとみられる。
 聯合電によると、この日、韓国大使館の参事官が外務省を訪れて親書を手渡そうとしたが、外務省側は大使館車両の正門通過を許可せず、参事官の面談要請も拒否したという。韓国政府当局者は「(日本の)外務省の正門を(韓国の外交官が)通れなかった」としたうえで、「やむを得ず、書留郵便を通じて、野田首相の親書を外務省に発送した」と明らかにした。
(2012年8月23日19時08分  読売新聞)

<その2>
 外務省は23日、野田首相が韓国の李明博大統領宛てに送った親書を、在京韓国大使館員が返しに来たのに対し、受け取りを拒否した。
 韓国側は同日夕、書留郵便で外務省に送付したが、日本政府は受け取らない方針だ。李大統領の島根県・竹島への上陸に端を発する日韓両国の応酬は、激しさを増している。
 日韓両政府関係者の話を総合すると、在京韓国大使館の参事官が23日夕、外務省を訪れて親書を返そうとした。しかし、外務省は「面会の約束がない」として門前で制止し、省内への立ち入りを認めなかった。韓国側は事前に面会の打診をしたものの、外務省は「外交儀礼上、あり得ない行為だ」(幹部)と指摘した上で、面会を拒否したという。
(2012年8月23日21時03分  読売新聞)

 外交官が直接出向いて手渡す外交書簡については以前、ブログで山口県が生んだ8人の宰相展という記事を書き、その中でキッシンジャー補佐官が佐藤栄作首相に送った実物例をレポートしています(参照記事)。ニュースでもあるように外交官が直接受け渡すこと自体に意味があるわけで、受け取らないからと言って郵送ってのはどうよ?。日本の外務省も「受け取り拒否」という正式の制度があることはご存知でしょうから、結局、日本郵便が韓国大使館に差し戻すことになります。
 しかし、こんなわかり切ったことで時間を費やすのはムダですね。韓国の対応は外交儀礼上ありえない礼を失したものなのは明らか。韓国はきちんと受領し交渉のテーブルにつくことが第一です。

 さて、ここに一通の郵便物があります。ソ連に併合される前のラトビアの首都リガから1932年(昭7)7月3日に送り出された書留郵便物で宛先はアメリカ、それもホワイトハウスの31代アメリカ大統領フーバーあてです。裏面の差出人を見ただけでは外交官なのか、あるいはそうではない個人的な親書なのかの区別が判然としません。手紙文も残されておらず、手がかりは皆無と言えましょう。しかし、それが幸運だったのかもしれません。素性も内容もわからないからこそ郵趣市場に出回り、遠く極東の地ニッポンの私のところにまでやってきてくれたのではないかと思うのです。
 実はフーバー宛のカバーは少なからず出回っています。次の32代大統領フランクリン・ルーズベルトは郵趣家で有名で、そのコレクションは以前にブログで記しましたように、カバー類の裏面にその旨を示すゴム印が押されています(参照記事)。氏の死後にコレクションの売り立てを行ったハーマー商会の手によるものです。これにはその印が無いので死後処分のアイテムではないでしょう。となるとフーバーあてカバーはルーズベルト存命中(=大統領在任中)かそれ以前に外部にもたらされたものの可能性が高いです。さて、それが可能なのはいったい誰でしょうか?。

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<消印データ>
Riga 1932.7.6
→New York 1932.7.15
→Washington D.C. 1932.7.16

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August 19, 2012

阿蘇山頂郵便局の出世物語

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 これもかつては雑品、ゴミ扱いされていた中から掘り出し、平成7年には東京目白の切手の博物館で開催された切手展「天災、郵便そして切手」に採用されるという出世を果たしたアイテムです。
 1979年(昭54)9月6日、阿蘇山が爆発し観光客3人が死亡しました。自分も中学時代の修学旅行で山頂まで登り噴火口を覗き込んだ経験がある身ですのでたいへん驚きました。山頂郵便局も同時に一時閉鎖となりました。それを知らなかったのでしょう、これは北海道釧路市の某が風景印か何かの郵頼をした時の依頼信です(試行印:釧路58.7.30)。管轄の熊本・坊中局では「阿蘇山頂郵便局は五十四年の爆発以来一時閉局中です」と手書きした付せんを貼り、8月3日付の日付印を押して差出人に送り返しました。それが回り回って昭和時代の終り頃でしたでしょうか、私の目の前に現れたのでした。ルックスからしても、いかにも雑品扱いされる風体ですわなあ。
 ところが阪神淡路大震災を受けての上記切手展が企画された折、探してみると阿蘇山噴火の郵趣アイテムがまったく見当たりません。突然の噴火であり即時閉局、立ち入り禁止となったため、めぼしい郵趣関係品が残されなかったらしいことがその時になって初めて認識されたのでした。一人の収集家のほんのささいな思い違いが、こうして貴重な郵趣アイテムとして残されました。
 さらにこの話には続きがあります。山頂局廃止の告示が出たのは2007年(平19)3月20日、正式に廃局になったのは同月31日のこと。一時閉鎖から28年間も経過しています。その理由はなんと「廃止の告示を出すのを忘れていた」でした。
 同年10月1日の郵政民営化を控えて資産・財産の総点検をしている過程で告示もれが発覚したとのこと。いやはや、日本郵政民営化にも関わる郵趣アイテムという肩書きも加わったことでした。

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August 14, 2012

祝・調布郵趣がついに電子書籍化

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 JPS調布支部の会報「調布郵趣」が試行の末にこの8月号にあたる346号から完全電子書籍化されました。pdf形式によるデータ配布という標準的な方式です。1ページずつバラの状態で配布されたものそのままでもかまいませんが、私はフリーソフトで1冊に連結して外付ハードディスクに保管しています。
 例会参加者が発表のために持参したアルバムリーフの画像部分とは別に、編集時に見出し部分を新たにタイピングしてくれているのでpdf化した後もテキスト検索がアクティブなのがありがたいです。紙媒体の最大の欠点は、場所を取るウンヌンよりも、必要な時に必要な記事を即時に検索できないことで、その懸念がなくなったことは非常に大きいです。いずれ1年分を連結する予定ですから、検索も1年丸ごと全部を対象に探し出すことができます。これが資料としての価値をより高めています。
 私はさらに一歩踏み込んでiPadでいつでもどこでも閲覧できるようにしています。これも電子書籍化の大きなメリットです。

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 ストレージサービスのDropbox(ドロップボックス)にデータを入れてiPadと同期させます。iBooksで閲覧するように指定しますとこうして表紙が左上に現れます。他にも郵趣誌の担当連載記事のゲラや既に電子書籍化されて久しいJPS英国切手部会報も3号分入っています。

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 指先で表紙をタップし一覧表示にするとこのように全ページがずらっと並びます。最初から順番に読んでもいいですし、読みたいところから先に見ることも可能です。

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 そして読みたいページをぐっと拡大して見ることができます。申し遅れましたがもちろんフルカラーです。これは老眼の身には文句なくありがたい機能です。

 最初は慣れないことでしょうがだからといって避けていては未来はありません。すぐに勘が身に付きますから一刻も早く電子書籍に移行しましょう。
 正直なところ私はもう紙媒体の方が苦手です。単行本を頂いても主要部分をスキャンして電子データ化した後は処分しています。捨てるのは申し訳ないので郵趣会の催事用にプレゼントとして寄付しています。決して不要になったから廃棄しているわけではありませんので理解してください。

 そういう時代なんです。

(余談)
 iPadでNHKラジオの全放送を無料で聴取できます。全国のFM放送も聞くことができます(こちらは有料)。郵趣書籍を読みながらずっとラジオも聴き、さらにあれこれ作業していますよ。楽しい〜!。

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August 13, 2012

行徳支店の浦安支店への統合

 平成24年9月22日(土)に日本郵便行徳支店が営業を終了します。ゆうゆう窓口の営業も15:00で終了です。その後は浦安支店が業務を引き継ぐとのことです。最終印を押印希望の方、お早めにご準備ください。

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記念特殊切手の全国一斉在庫処分

 平成21年度以前に発行された記念特殊切手(ふるさと切手を含む)で販売の見込みが立たない券種について全国一斉に処分が行われます。今月27〜31日(月〜金)にかけて一斉回収されますので、買いもらしなどがある方はすみやかに最寄り局でお買い求めください。

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August 12, 2012

祭国強の火薬アート切手

20120812_01 第5回ファンタスティック・スタンプクラブ(FSC)例会での収穫品のひとつに表題のアイテムがあります。荒牧さんが実際にグッゲンハイム美術館で購入されたというトンデモナイ幸運。そしてきちんと意味を理解されて余分に購入されていたお陰です。図のように焼け焦げて穴が開いた一種の「穴開き切手」であるばかりでなく、れっきとしたアート作品であることが最大の魅力です。

 祭国強氏は中国のアーティストで日本にも住んでおられたこともあるので日本語も通じます。氏のドキュメンタリー番組をご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。在日中に火薬を使ったアートを始められ、2008年にはグッゲンハイム美術館で大々的に展覧会を行われました。図はまさにその時の製作物のひとつです。なので、パッケージに貼られていた同館の値札シールも捨てられません。
20120812_02 台切手は中国の「写真付き切手」です。牡丹を描く80分部分が切手で、隣接する無地の白いタブ部分に火薬による爆発痕を作ってあります。切手とシート地部分はマスキングして着火されたようで何の汚損もありません。写真付き切手、穴開き切手としてのみならず美術切手としてもぜひとも入手しておきたいアイテムです。

 製作風景の動画を下記に貼り付けておきます。爆発後に延焼しないようにお弟子さんたちが消火して回っています。(音に注意)

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モナコ公国の無額面・永久保証切手

 日本にはない郵便制度下で発行・運用されている切手も収集範囲です。先進諸国で次々と採用されている代表例が無額面切手で、その多くは永久保証切手でもあります。なんのことかわからないと思いますので詳しくご説明します。

 現在の日本の封書の基本料金は80円です。それに対応する切手には額面が80と表示されています。無額面切手とはその額面数字を表示しない、あるいは「第1種用25gまで」といった方式で郵便等級を示します。この無額面方式に一体何のメリットがあるのか即座には思い及ばないことでしょう。その威力を発揮するのは料金値上げの場面です。わざわざ新額面の切手を印刷する必要がないのです。現実に起こった事例では1975年のアメリカのクリスマス切手でした。料金値上げの議会承認が長引き、議決を待っていては印刷が間に合わないからと、2種のクリスマス切手を無額面で発行しました。結果的に新料金は10セントになったので郵便窓口では10セントで販売されました。そしていかにも荒っぽい手法かのように思えた強攻策であったにも関わらず、実際にはまったく何の問題も起きませんでした。
 これに永久保証という新しい運用制度が加わったのが普及に拍車をかけました。これも例えて言いますと仮に販売当初80円だったとします。料金値上げで90円になったとしても、第1種用25gまでの郵便物に貼って使う限り、差額の10円は支払わなくても良い、としたのです。つまり80円分の金券ではなく、あくまでも「該当する種別の郵便物を差し出す権利」を永久に保証するという考え方です。これも料金値上げ時に威力を発揮します。値上げの1〜2ヶ月前に買い溜めしておけば値上げ後はその分割安になります。世界中どこでも公共料金は一般的に値上りするものですから、駆け込み需要を当て込んで切手を売ることができるのです。
 その結果、カナダでは2006年から「永久保証」を意味する商品名「PERMANENT STAMP」の頭文字の「P」とのみ表示した無額面・永久保証切手が発行されています。同様にアメリカも2007年から「Forever」(Forever Stampsの意)とのみ表示した普通切手を発行し、さらに2011年からはすべての記念切手がForeverになりました。

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 そしていよいよ本題、上図のモナコ切手です。これも額面が入っていません。切手は2000年に発行されたもので第1地帯と呼ぶEU圏内およびスイスあて20gまでの郵便物(日本のような封書、はがきの区別はありません)に使う切手です。それが発行後9年も後の2009年7月6日であるにもかかわらず1枚貼りで使われていることこそが重要な意味を持っています。従来の伝統郵趣では切手が発行されておおむね3ヶ月以内の使用を初期使用例と呼んで重宝していましたが、こと無額面・永久保証切手ではまったく逆で、より後年の使用例の方が意義深いのです。
 下図のように2000年以降も数年おきにデザインを少しずつ変えた無額面・永久保証切手を出しています。それぞれの券種についても1枚貼り使用例が欲しいところですが、はい、まったく焦る必要はありませんね。使われた時期が遅ければ遅いほど意味があるのですから。

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※関連記事:左欄CATEGORIESの「永久保証切手」「無額面切手」をクリックしてください。


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August 11, 2012

世界最初の金箔切手

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 変り種切手の雄と断言できるのが今回ご紹介する金箔切手です。図はガボンが1965年(昭40)12月4日に発行した「シュバイツァー博士追悼」記念切手です。これが世界最初の金箔切手です。
 裏糊引きをした純金の箔にエンボス加工をして印面を作り、目打の型抜きをして切手の体裁に仕立てる金箔切手としてのスタイルがこの時点でほぼ完成していました。博士は同年9月4日に亡くなったばかりなので、前例のない製造工程を没後わずか3ヶ月のうちに成し遂げていたことになります。(注)
 本券の特殊性はそれだけではありません。当時は金の輸入が禁止されていたため、発行後8年間は日本に輸入できませんでした。日本の郵趣市場に登場するのは1973年(昭48)4月からの金の輸入自由化以降のことです。解禁直後の価格が5,000円位でしたので今の貨幣価値だと2〜3万円相当です。1960年代後半に発行された初期金箔切手はおおむね同様の状況で、今でも万に近い数千円の販売価格が一般的です。
 その後、切手製造技術上の進歩もめざましく、金箔に見える別の金属箔を使うといった「技術開発」もあり、今では純金である旨の証明書を添付して販売されるもの以外は金箔切手のそっくりさんと理解して良いでしょう。そこで、一連の金属箔切手を非破壊検査して確認されたのが日本の化学切手研究会です。理学博士の伊藤良一氏によりますと、シュバイツァー博士追悼記念切手は看板に偽りなく、確かに主成分は金であるとの結果が出ています。詳細は以下の過去記事をご参照ください。

金属製切手の根本を問う化学切手展

(注)博士が亡くなるはるか以前に用意していた可能性も否定できません。

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August 03, 2012

南方占領地切手のボーガス

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 福岡のパインスタンプさんからまたまたこんな不思議な詰め合わせセットが送られてきました。ほとんどの方はすぐにおわかりでしょう。南方占領地切手のうちビルマの模造品です。黄色い(文字通り)模造紙のような紙にちゃちな石版印刷で、戦前に輸出パケット用に大量に作られた手彫切手の模造品とそっくりな質感です。当然ですが裏糊もありません。ただし、南方占領地のそれはあまり見たことがないです。
 先日の第5回ファンタスティック・スタンプクラブ(FSC)例会でも公式・非公式を問わず模造・変造・偽造のお話をしましたのでひと通りは保存しておきます。今では考えられませんけれど、往時は切手商組合もビードロ、月に雁などの模造品を作っていました。今の価値観で一方的に断ずることはいたしませんが、まあ、いいかげんな時代だったと言えるでしょう。多少重品もあるので次回ファンタスティック・オークションにロットでお出ししましょう。

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