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July 07, 2012

山口県の進駐軍郵便・追補

 戦後の進駐軍郵便研究の第一人者である中川進さん(山口市)から追加写真類をお送りいただきました。「山口キャンプでFPO2を設置したWoodさん(当時はWood軍曹)から送ってもらった写真のうち、FPO2関係分はすでにお送りしました。郵趣には関係ありませんが、それ以外の写真で当時の山口を語る資料として興味深いと思われるもの数点をお送りします。」とのことです。
 なお、今回も記録保存のためオリジナル画像はFacebookの写真アルバムに格納しておきます。「Philately in Yamaguchi(山口県の郵趣)」を参照ください。

1946(S21)年夏頃・NZ軍の音楽隊の市内行進
 地元の小学生のグループが見守るなか、市内行進するNZ軍の音楽隊です。後ろには通常の分隊が続いています。場所はキャンプ(現在の陸上自衛隊ちゅうとん地)の近くでしょう。本格的な吹奏楽器を携えているので、NZ本国から慰問に来た本当の音楽隊の可能性が高いと思いますが、山口キャンプだけの兵士で構成された即席の音楽隊であった可能性も否定はできません。しかし、進駐してまだ数ヶ月しかたっていないので、ちょっと無理だったかも知れません。

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1946(S21)年夏頃・山口キャンプ正面近く(?)のNZ兵士用標識
 キャンプ正面近くにあったと思われる所に置かれたNZ兵士用標識です。大きな立て札に「命により市内運転制限時速15マイル」。その右下には小さく「全兵士の外出門限は21時45分」とあります。しかし、同時に日本語で「時速20哩・32粁」と縦書された標識札もあり、数字がアンマッチです。日本語の標識は日本人向け、つまり、NZ兵が運転する場合は軍命で時速15マイルまで、日本人の場合は時速20マイルまで、ということでしょうか。

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1946(S21)年夏頃・クラブ内のNZ兵士たち
 クラブでヤマハピアノを弾く兵士、テーブルに座り団らんする兵士などです。奥にカウンターがあり、中で接客をする和服姿の日本女性がいます。進駐軍はクラブで働く従業員や大工など、山口市の住民も雇っていました。このクラブとして使用した建物は元々旧陸軍敷地内にあったものなのか、それとも市内のどこかの建物を接収使用したものでしょうか。NZ軍は、市内の広い旧家なども接収・改修して娯楽施設等として使っていました。私の知る範囲では県庁前の八木家があります。
(※Woodさん提供の写真は以上です)

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1946(S21)年夏頃・ザビエルのレリーフのない聖ザビエル記念碑
 陸上自衛隊ちゅうとん地のすぐ横にあります。1996年に撮った写真と比べてみてください。終戦直後のものは、十字架の金属部分がすべて剥がされてしまっています。その理由はよくご承知のとおりですが、戦争遂行中に日本各地で同じようなことが行われました。

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1946(S21)年・桜の咲く時期の一の坂川
 昭和21年4月の桜の咲いた時の一の坂川です。同じ位置から写した1994年のものと比べてみてください。川床の形がかなり変わっています。

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