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July 2012

July 31, 2012

なんだこれは?!

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 ロンドンオリンピックもたけなわでございます。せっかくですから五輪関係の面白切手をご紹介します。1964年、ドバイが発行した東京オリンピック記念切手10種のうち1NPと4NP額面の2種のデザインがこんなんです(笑)。
 2本のロープを股間で挟んで空中浮遊したり、つり輪らしきモノにぶら下がるのではなく乗ってます。はい、こんな競技はないぞ。後者は図が上下逆だったらまだしも、前者は完全にムリっちゅーもんでしょう。
 今のようにインターネットで簡単に資料収集できる時代ではなかったので、とりあえずかき集めた資料本をヒントに適当に絵を描かざるをえなかったのでしょう。しかし、せっかくイギリスの名門ハリソン父子社による印刷なのに、こんなに明らか過ぎるデザインの間違いを正すことはできなかったのでしょうか。

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ナイジェリアのホログラム切手

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 2012年7月28日の第5回ファンタスティック・スタンプクラブ(FSC)例会は7名と少人数ながらも非常に濃い内容の例会でした。図は荒牧裕一さんが分譲されたナイジェリアのホログラム切手です。
 同国は教育水準は高いのに経済がガタガタであるがために頭脳犯罪である詐欺、それも国際的な詐欺が横行しています。切手の偽造もひどく、その防止目的で図のような丸または四角のホログラム箔片を貼り付けた切手が出ています。図は10種ですが荒牧さんによると11種まで確認されているそうです。詳細は氏のブログをご参照ください。

◆ナイジェリアのホログラム切手
 http://aramaki.way-nifty.com/stamp/2012/03/post-9584.html
◆ナイジェリアのホログラム切手(続報)
 http://aramaki.way-nifty.com/stamp/2012/06/post-36d7.html

 日本の郵趣雑誌でもこれらはまだ一切報じておりません。実態が判明するまでにはまだ数年を要する印象がいたします。そういった最先端の郵趣アイテムがGETできるのもファンタスティック・スタンプクラブ(FSC)であります。荒牧さんあての実逓書留カバーもお譲りいただけましたのでたいへんありがたかったです。

2012073003 消印はG.P.O. IBADAN 25.05.2012です。

※関連記事:ナイジェリア詐欺/Nigerian Scam Letter
 http://topofswan.tea-nifty.com/hyper_philatelist_annex/2010/09/nigerian-scam-l.html

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July 30, 2012

山口県長門市仙崎のニュージーランド軍

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 第5回ファンタスティック・スタンプクラブ(FSC)例会翌日の2012年7月29日(日)。収友たちを長門市仙崎の金子みすゞ記念館に案内した後、たまたま立ち寄ったまちなかギャラリーさんの「仙崎引揚港 写真展」を見てびっくり!。戦後直後に山口県に進駐して来た英連邦軍の一員であるニュージーランド軍兵士が撮影した写真がずらり。写真撮影禁止とはどこにも書いてなかったので郵趣の参考になりそうな5点のみFacebookの写真アルバムに収録しておきます。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=350775911668073&l=e35a2fd51c

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July 24, 2012

オーストラリアがハローキティー切手を発行

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 我が目を疑うとはまさにこのこと。な、な、なんと、かつての敵国(笑)オーストラリアがハローキティーの切手を発行したようです。COOL JAPANの輸出はもう大歓迎ですがやっぱり驚きます。フレーム切手、Pスタンプの類ではなくれっきとした正刷切手のようです。「スタンプパック」という名称(商品名)を使っているので特別シートではあるようです。ホームページの記述だけでは委細が不明なのでさっそく個人輸入をかけようと思います。

http://shop.auspost.com.au/stamps/souvenir-sheets/hello-kitty/sku/1514758

<参考:同郵政の説明文>
   The character of Hello Kitty was designed by Yuko Shimizo of the Japanese company Sanrio in 1974. She is portrayed as a white Japanese Bobtail cat with a red bow on her left ear.
   Originally targeted to young girls, Hello Kitty is now a global brand and a worldwide marketing phenomenon that appeals to young and old. Hello Kitty appears on a range of products including purses, stickers, toasters, clothing, jewellery, dolls and school supplies. She has starred in her own TV series and has been the subject of numerous video games.
   Hello Kitty and other characters also feature in two officially licensed theme parks in Japan: Harmonyland and the indoor Sanrio Puroland.
© 1976, 2012 SANRIO CO., LTD.

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July 15, 2012

キプロス共和国と北キプロス・トルコ共和国

 マスコミ各社が報じていますように地中海の島国キプロス共和国が債務危機に陥っています。地理的にも軍事的な要衝で、ギリシャ・ローマの時代からさまざまな民族・国家が領有してきました。現代においては1960年に独立を果たしたもののギリシャ系とトルコ系の住民対立が激しく、ついに1974年7月15日、ギリシャ併合賛成派によるクーデターが発生。すかさずトルコ系住民の保護の名目でトルコ共和国軍が北部を占領しました。以後、国連が問題解決を計る仲介をしてきましたが進展はなく、1983年11月15日、業を煮やした北キプロス側が「北キプロス・トルコ共和国」として一方的に独立を宣言しました。国家承認をしている国はトルコ以外に無く、日本も承認をしていません。日本では「トルコ軍実効支配地域」というのが公式呼称となっています。

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 その一方の南キプロスこと現キプロス共和国は国際承認を受けています。それだけでなく2008年1月1日からマルタとともにユーロ圏への加入が許されました。上はその加入日当日に発行されたユーロ加盟記念切手です。キプロス(左)とマルタ(右)の共同発行で図案はともに女神アフロディーテ像(キプロス)と眠れる貴婦人の像(マルタ)を題材にしています。キプロスはユーロとキプロス・ポンド、マルタもユーロとマルタ・リラの二重通貨表記となっています。この図案はいかにもヨーロッパ文明の源泉である地中海文明の継承者であるかのような意図がありありと伺えます。もう一方の北キプロスは一体どのような心情で見ていたことでしょうか。

 その南のキプロス共和国がユーロ圏加盟後わずか5年で債務危機に陥りました。もともと国家として自立できるほどの経済力はなくギリシャ経済に依存していたのが当のギリシャ自身が破産寸前。債権放棄のあおりを受けてキプロスまでが巻き添えになったという構図です。
 EUの対ギリシャ金融政策の厳しさをじっと観察していたキプロスは、EU圏への投資経由地として多数の企業が進出しているロシアにも経済支援を求めているというのが話をややこしくしています。キプロスにしてみれば一種のリスクヘッジであると同時にEUからの支援を有利に進めるための駆け引きでもあります。相当嫌らしいこずるい手法なのですがEUも面と向かって批判はしにくい。
 しかし、どうもキプロスはいけすかない野郎だという気がします。もともと南北分断のきっかけを作ったのは南のクーデターが発端です。2004年に国連が示した連邦制による再統合案の国民投票もキプロスの反対多数で否決。常にヨーロッパ中華思想が見え隠れしているのはキプロスの方であってなかば傲慢な印象すら受けます。
 軍事占領を続けているトルコもまたEU加盟を拒まれています。建国の父アタチュルクの時代より政教分離の世俗主義を国是としていながらも、国民の大多数がイスラム教徒であることでEUの言う「ヨーロッパとしての共通の価値観」が共有できないとみられていること、そしてまさにこの北キプロス・トルコ共和国問題が軛(くびき)となっています。対ロシア・対中東方面への軍事拠点として国内に基地を確保し続けたいアメリカの思惑もあって、なんとか加盟させてやってくれとアメリカもずいぶん後押ししているとともに、トルコもまた態度を軟化させています。にも関わらずEUは実現不可能な要求ばかりするくせに自分たちは一切妥協しようとしない、というのがトルコ側の心情です。さもありなん、です。

2012071502 郵趣面でもキプロスの嫌らしさは常々感じています。鉄条網に囲まれた悲しき少女の図案を用いた難民救済基金切手を毎年発行しています。その実例を左に6点ばかりご覧にいれます。最低額面相当の強制貼付切手として発行され続け、ユーロ圏加盟後の現在もそれが続いています。自分たちこそが被害者であるかのようなこの図案、メディアとしての郵便切手、その悪しきプロパガンダの実例だと私は思うのですが。

 北キプロスは1983年の独立宣言以前はキプロス連邦トルコ人共和国と名乗り「KIBRUS TURK YONETIMI」後に「KIBRIS TURK FEDERE DEVLETI POSTALARI」と表示された独自切手を発行していました。独立宣言以後は北キプロス・トルコ共和国と改称し「KUZEY KIBRIS TURK CUMHURIYETI」表示となりました。冒頭のようにトルコ以外に国家承認されていないので万国郵便連合(UPU)にも加盟していません。ですから、国際法的にはいわゆる郵便切手ではありません。しかし、実際に郵便に使われている例は決して少なくないのが郵趣の面白いところです。
 上がキプロス連邦トルコ人共和国時代の1982年に発行された「婚礼」30TL切手です。LEFKOSA(レフコシャ、首都。英語名ニコシア)局1984年8月28日の消印が押されたイギリスあて帯封(ラッパー)です。下は北キプロス・トルコ共和国になった後の切手貼り、GAZIMAGUSA(ガーズィマウサ。英語名ファマグスタ)局1997年5月5日の消印が押された日本あて航空便です。いずれも実際に送達されています。これはどうしたことでしょう。
 差し出された国際郵便物はすべてトルコに送られます。トルコは国際法上国家として認められていますので、この段階で北キプロス差し出しの郵便物も一緒に国際郵便ルートに乗せられたら現実問題として区別するのは不可能です。もし自分あてに届くようなことがあれば、切手無効につき料金不足の処理を自ら申し出てやろうと思っているところです。

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July 10, 2012

切手投機反対キャンペーンシール<守礼門>

2012071001    守礼門サンプル切手
  このシートは、沖縄で1958年に発
 行された<守礼門切手>を、原寸原
 色で再現した、サンプルです。
  ごく一部の悪徳投機業者によって
 この切手は勝手に値をつり上げられ
 ています。その投機に反対して作ら
 れたものです。無料で配布していま
 すから、お互いにお金で、このシー
 トを取引しないようにしましょう。

 有名レプリカ・シールの第2回目は「切手投機反対キャンペーンシール<守礼門>」です。青い文字でかくのごとき文面が裏面に印刷された沖縄・守礼門切手シールは良くも悪くもたいへん有名です。1972年(昭和47年)5月15日の沖縄本土復帰を控え、沖縄切手を投機の対象にしようとした切手商(とは言い難いのですが)の一派がいました。都内各地のデパートを会場として使い、何の知識もない一般の人でさえもが沖縄切手を投機目的で買い漁るように仕向けたのです。
 これに対し、当時の日本郵趣協会は1972年4月に緊急常任理事会を開いて、全国の会員に向けて、投機はいずれ失敗するから手を出さないようにとの警告を出しました。現在、確認されている最も早い反投機運動の記録です。
 その後も反対運動は続けられ、ついに1973年(昭和48年)5月25日に沖縄切手投機は崩壊しました。その運動の過程で作られたのがこの切手投機反対キャンペーンシール<守礼門>です。裏面の文面は明らかにジュニア・コレクター向けとなっています。切手投機に狂奔する大人の後ろ姿を見て射幸心にかられて追従しないようにというのが本シールの主たる対象者であったことは想像に難くありません。さらに、独特の句点の多用文はまたこれも明らかに水原明窓理事長の文体です。
 シールの出来ばえは本物と見紛うばかりの立派なものです。ただし、どのタイミングでどれほどの量が作られたものかについてははっきりしません。今も切手商さんの店頭でぽつぽつ見かけますので10万〜50万シートは作られたのではないかと想像しています。ちょうど1972年に郵便切手類模造等取締法が施行されているので、その法律との兼ね合いを語る上でも重要なアイテムであることは意外に認識されていません。委細をご存知の方がいらっしゃいましたらぜひお知らせください。

2012071002

 この反対運動の矢面に立たされたのが株式会社切手投資センターです。「旬刊切手投資」なる相場誌を発行して恣意的に架空の高値を吊り上げていた張本人だったからです。
 今から40年も昔のことながら、この連中の残した惨禍は今もなお日本郵趣界に大きな負の遺産を残しました。今でも初めて切手展を開催しようとすると、切手収集はただの子供の遊びか、そうでなければ金儲け目的のどちらかであろうとの拭いがたい差別的先入観・偏見との戦いを余儀なくされています。日本郵便の関係者ですら露骨な物言いをすることがあり、我々郵趣家の精神的苦痛はいまだに続いています。

2012071003 そんな憎き切手投資センターの封筒を左にご覧に入れます。消印は登戸51.12.24。同社の活動としては最後期に属する日付です。

 そしてつい昨年のことです。こんな倒産情報が報じられました。

平成23年(フ)第2804号
神奈川県川崎市多摩区登戸1780番地
債務者株式会社ユニバーサル・ゴールデンライフ
代表者代表取締役伊藤淳也
1 決定年月日時平成23年3月1日午前11時
2 主文債務者について破産手続を開始する。
3 破産管財人弁護士長屋憲一
4 財産状況報告集会・廃止意見聴取・計算報告の期日平成23年9月5日午後1時30分
東京地方裁判所民事第20部

 ここに記された伊藤淳也なる人物こそ、切手投資センターの経営者であり切手投機を仕掛けた人物です。時は流れて切手からコインにターゲットを移しながらも、同じような手法を繰り返していたようです。
 彼ももう還暦をとうに過ぎているはずです。このまま晩節を穢したまま消え去るのでありましょうか。それだけの才覚があって、もし正業にエネルギーを注いでいたならば、まったく違った人生を歩んでいたことでしょう。

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July 09, 2012

原水爆禁止切手の発行運動シール(1)

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 2012年7月28日の第5回ファンタスティック・スタンプクラブ(FSC)例会で切手型シールをはじめとした官製模造などのオフィシャル・レプリカ類等についてお話しします。その予備知識として有名なアイテムをいくつかご紹介しておきたいと思います。その第1回目は有名な「原水爆切手の発行運動シール」です。
 これは由緒、身元がはっきりしています。1946年の創設からわずか9年目、揺籃期にあった日本郵趣協会が、と言うより当時の水原明窓理事長の極めて強力なイニシアチブによって世に送り出されたものです。その経緯は「日本郵趣協会四十年の歩み」のP.21に詳しく記録されています(1986年12月25日・財団法人日本郵趣協会発行)。以下、抜粋引用。

 1955年に第1回の原水禁世界大会がひらかれるということで、各地で原水禁運動が盛んになっていた。そういう情勢の中、1954年11月に東京で原水爆禁止切手発行運動促進準備会が結成された。このニュースを知った水原理事長は、積極的に参加し、切手発行にむけて強力な運動を展開した。
 切手発行の手順として、衆議院の通信委員会における請願を第一目標とした。請願を受けた逓信委員会は、この件についての審議を5月に行い、審議のやりとりは『郵趣』7月号でくわしく報告された。議員の中には切手発行に賛成するものも多かったが、郵務当局は反対の態度をとり、結局、切手発行は否決された。
 そこでつぎの目標を、シール発行による宣伝活動におき、8月に完成したシールは協会を通じても配布された。このシールは「あれから10年」特集号の1955年8月号の表紙を飾った。
 原水爆禁止切手は、それ以後も発行されず、その意味では、この運動は敗北であった。(以下省略)

 銘は東京都千代田区神田一ツ橋教育会館 原水爆禁止切手発行運動促進準備会。デザインは切手のデザインでも有名な山野内孝夫、製造は大日本印刷株式会社。目打、裏糊もある当時としてはかなりしっかりしたものです。発行日は1955(昭和30年)年8月4日、1シート10円で10万シートを売り捌いたとあるので当時のお金で100万円にもなるわけで、なかなかどうして立派な金額ではあります。
 後に原水禁運動が分裂していったように、イデオロギー上の問題から容易に反米運動に転化しかねない危惧を抱いていた政府サイドが、原水爆禁止切手など発行するわけがないことはおよそ察しがつこうというものです。また、仮に発行されたとしてもどれほどの実効性があったものかも疑問です。
 TVの地上波放送が始まってまだ数年という段階では、こうしたPRシールが情報伝達メディアとしての郵便に乗って伝播する力への期待が大きかったのかもしれません。しかし、申し訳ないことですが、今の感覚では茶番としか思えないのは正直なところです。

 有名な割にこのシールは有り余るほど目にした、というわけではありません。自分も1シート1,000円を払って購入しました。封筒の封かん紙がわりに使うなどの使用例に至ってはまったく見たことすらありません。未使用シールに限っては、高齢収集家の死去に伴って再び郵趣市場に還流されるかもしれませんが、これもまた未知数です。

関連記事:原水爆禁止切手の発行運動シール(2)

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July 08, 2012

そっくりさん切手

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 発行当初から中国の年賀切手とそっくり過ぎで話題になっていたフィジーの年賀切手「龍年」の公式FDCが届きました。図版右に比較のために中国のそれを並べてみました。手の向きなど部分的に異なってはいますが、偶然の一致と断言するにはかなり厳しいかなという気がします。
 複数を輸入しましたので、近日中に開催予定の第10回ファンタスティック・オークションに一通提供します。お楽しみに。

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July 07, 2012

山口県最古の切手買入広告

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<中川進さんからのお便りより>
 かなり前「郵趣」誌で明治時代すでに古切手買入れの広告があったということが書かれた記事を読んだことがあります。
 これは阿知須(当時は吉敷郡井関村)の漢学者中川令辰が明治25年(1892年)に刊行した評論雑誌「周南」の創刊号です。「周南」は東京の購読者が多く、業者広告も東京のものが多く、その一つが東京の隅田園書店の出した広告で、「黄金の掘出、古郵便切手はがき類高価買入百枚金二銭より」と書かれています。日本最初の竜文切手が発行されて20年しか経っていない時期です。もちろん輸出用のためでしょうが、古切手の需要がすでにあったことがわかります。山口県では一番古い切手買入広告ではないでしょうか。

(椙山追記)
 周南という言葉は昔からあったようですがかつては柳井市周辺を指していたとのこと。阿知須でこの呼称を用いたというのは興味深いです。
 なお、今回も記録保存のためオリジナル画像はFacebookの写真アルバムに格納しておきます。「Philately in Yamaguchi(山口県の郵趣)」を参照ください。

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山口県の進駐軍郵便・追補

 戦後の進駐軍郵便研究の第一人者である中川進さん(山口市)から追加写真類をお送りいただきました。「山口キャンプでFPO2を設置したWoodさん(当時はWood軍曹)から送ってもらった写真のうち、FPO2関係分はすでにお送りしました。郵趣には関係ありませんが、それ以外の写真で当時の山口を語る資料として興味深いと思われるもの数点をお送りします。」とのことです。
 なお、今回も記録保存のためオリジナル画像はFacebookの写真アルバムに格納しておきます。「Philately in Yamaguchi(山口県の郵趣)」を参照ください。

1946(S21)年夏頃・NZ軍の音楽隊の市内行進
 地元の小学生のグループが見守るなか、市内行進するNZ軍の音楽隊です。後ろには通常の分隊が続いています。場所はキャンプ(現在の陸上自衛隊ちゅうとん地)の近くでしょう。本格的な吹奏楽器を携えているので、NZ本国から慰問に来た本当の音楽隊の可能性が高いと思いますが、山口キャンプだけの兵士で構成された即席の音楽隊であった可能性も否定はできません。しかし、進駐してまだ数ヶ月しかたっていないので、ちょっと無理だったかも知れません。

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1946(S21)年夏頃・山口キャンプ正面近く(?)のNZ兵士用標識
 キャンプ正面近くにあったと思われる所に置かれたNZ兵士用標識です。大きな立て札に「命により市内運転制限時速15マイル」。その右下には小さく「全兵士の外出門限は21時45分」とあります。しかし、同時に日本語で「時速20哩・32粁」と縦書された標識札もあり、数字がアンマッチです。日本語の標識は日本人向け、つまり、NZ兵が運転する場合は軍命で時速15マイルまで、日本人の場合は時速20マイルまで、ということでしょうか。

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1946(S21)年夏頃・クラブ内のNZ兵士たち
 クラブでヤマハピアノを弾く兵士、テーブルに座り団らんする兵士などです。奥にカウンターがあり、中で接客をする和服姿の日本女性がいます。進駐軍はクラブで働く従業員や大工など、山口市の住民も雇っていました。このクラブとして使用した建物は元々旧陸軍敷地内にあったものなのか、それとも市内のどこかの建物を接収使用したものでしょうか。NZ軍は、市内の広い旧家なども接収・改修して娯楽施設等として使っていました。私の知る範囲では県庁前の八木家があります。
(※Woodさん提供の写真は以上です)

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1946(S21)年夏頃・ザビエルのレリーフのない聖ザビエル記念碑
 陸上自衛隊ちゅうとん地のすぐ横にあります。1996年に撮った写真と比べてみてください。終戦直後のものは、十字架の金属部分がすべて剥がされてしまっています。その理由はよくご承知のとおりですが、戦争遂行中に日本各地で同じようなことが行われました。

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1946(S21)年・桜の咲く時期の一の坂川
 昭和21年4月の桜の咲いた時の一の坂川です。同じ位置から写した1994年のものと比べてみてください。川床の形がかなり変わっています。

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