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June 24, 2012

山口県の進駐軍郵便

01_fpo2wood1946 戦後の進駐軍郵便研究の第一人者である中川進さん(山口市)から特別寄稿文を頂戴しましたので編集のうえ、以下アップロードいたします。なお、記録保存のためオリジナル画像はFacebookの写真アルバムに格納しておきます。「Philately in Yamaguchi(山口県の郵趣)」を参照ください。(左は1946年夏、FPO2(山口)前のWood軍曹)

【NZAPO222の野戦郵便局FPO2(山口)について】

 故伊藤由巳さんの「B.C.O.F.加刷切手と日本及朝鮮における英連邦軍及インド軍の軍事郵便業務」のP.54に山口県下を中心に各地に設置されたニュージランド軍の野戦郵便局の設置時期が述べられています。伊藤さんのデータの大元はウエリントンの公文書館にある郵便部隊(NZAPO222)の毎日の行動を記録した日記(WAR DIARY)だと思われます。しかし、伊藤さんが執筆された当時、公文書館でこれらの日本占領関係文書の開示許可はまだされておらず、日本から公文書館に照会して郵便部隊(NZAPO222)の部隊日誌のコピーを直接入手することはできませんでした。伊藤さんはその当時、恐らく現地の代理人、知人に頼んでこれらの部隊日誌や他の本国の関係資料を調べてもらったものを手に入れ、これらをまとめられたものと思います。そのため、文書開示許可になった20年近く前に私が公文書館から入手したNZAPO222の部隊日誌の内容と比較すると、伊藤さんの本の内容には随所に、事実との齟齬、間違いが見られます。
 私のFPO2の調査結果を説明します。占領日本の進駐行政に参加したニュージランド軍は2NZEF(No.2 New Zealand Expeditionary Force:第2ニュージランド派遣軍)(通称Jay Force)と呼ばれ、戦後のイタリアで編成され、1946(S21)年2月19日、大型客船(23,500t)“Strathmore”で日本に向け出航、3月19日、呉に入港しました。
 1946年3月のNZAPO222の部隊日誌の表紙と中身をご覧ください。3月19日に呉到着の記録があります。伊藤さんの本では第2野戦郵便局(FPO2)は昭和21年3月24日に山口の旧日本軍兵営内の新西蘭キャンプ本部にWood軍曹により開設と述べられていますが、部隊日誌では、3月23日に山口に野戦郵便局設置、運営のためWood軍曹とNinnes伍長を派遣したことが記録されています。

02_nzapo2221946_03(↑クリックすると大きな画像がポップアップで開きます)

 NZAPO222隊員の数少ない存命者のWoodさん(当時22歳、現在90歳近く)の話ではNZAPO222は当初26名で呉に入港、呉に本局NZAPO222を設置しFPOを分局として岩国、山口、岐波などの各地に設置しています(注:NZAPO222は同年5月24日呉から岩国航空基地に移動しました)。NZAPO222隊員の現在の存命者はWoodさんを含め数名程度のようです。まだ存命者がかなりいた1995年の時のNZAPO222の部隊会合の集合写真と彼らが会合で使用した日付印を模した記念ロゴを添付します。
 NZAPOは、1945年戦後のイタリアで編成され1946年に日本に派遣され、本局のNZAPO222と支局の各FPOとで構成されるという意味合いの図案です。写真前列向かって右端がWood軍曹、その隣が部隊日誌に直筆で確認サインをしているNZAPO222の指揮官のBarker大尉(故人)です。

03_nzapo2221995

 Wood軍曹とNinnes伍長がFPO2で勤務していた1946年(S21)夏のFPO2の貴重な写真(1946年夏)をごらんください。すでに取り壊されてしまいましたが、宮野の陸上自衛隊の正門を入ったグランドの右側に10数年前まで旧陸軍が建てた木造の家屋が残っていました。この一角に設置されていたのがFPO2です。Wood軍曹とNinnes伍長が写っているFPO2正面の壁に掲げられた手書きの「NZ FIELD POST OFFICE」の看板に注目してください。

04_fpo2woodninnes1946

 もう1枚は、FPO2内部を隣のWoodさんとNinnesさんが寝泊りしていた居住区から写したものです。居住区は蚊帳を吊ったベッド、たんす、壁にべたべた貼られたセミヌードの女優(?)の写真など、面白い組み合わせです。この居住区から見えるのが、FPO2内部の郵便物仕分箱が置かれた作業机です。椙山さんが紹介されたFPO2のカバーはこの作業机でWood軍曹あるいはNinnes伍長が押印しました。

05_fpo21946


【オーストラリア軍のAFPO30(岩国)差出カバーについて】

 1950年と1953年の書留郵便物のフロント、カット数点を紹介します。興味深いのは、まず、1950年当時オーストラリア軍はまだBCOF加刷切手を使用していましたが、その後は本国と同じく無加刷切手を使用されていること、また、移動式の野戦郵便局でありながら書留票には日本での設置場所を示すIWAKUNIを入れてあること、さらに、この書留票の番号を比較すれはAFPO30で処理された3年間の書留郵便物処理数がわかるのではということです。

06_afpo30bcof1950_07_13


07_afpo30bcof1953

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