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October 10, 2011

切手オマケの暗黒面

11101001 日本万博、沖縄海洋博が開催された時、パンダやコアラが初めて日本に来た時など、世間の注目を集めるビッグイベントのたびに、素人向けの安っぽい切手セットが粗造されていました。これにグリコ、ロッテ、旭味ミタスなど販売促進のための景品としての切手パック類も含めれば夥しい種類になります。主に切手ブームが起きていた1960-70年代の話で、懐かしさと多少の哀愁を込めて私はこれを「切手オマケ」と呼んでいます。
 実は、私自身が切手収集を始めたのが1975年で、それら切手オマケの最盛期を体験していません。ほんの数ヶ月違いで沖縄切手投機も経験がありません。当時、リアルに体験した人達は苦い思い出の方が強いのでしょうか、切手オマケをほとんど顧みようとはなさいません。そこで、HYPER Philatelistたる自分がこつこつと集め、記録(主に証言)を残しているのです。
 その中でもとびきりの暗黒面が「デュバイ国際空港完成記念」台紙です。タテ13cm×ヨコ19cmの大きな厚紙に、同空港完成記念切手が2枚ヒンジで止められています。金縁まで印刷してそれらしく仕立ててはありますがただの厚紙。裏面は無地です。これを探し出してくれたディーラーさんによると、1973年7月20日、あの日本赤軍がドバイ国際空港日航機ハイジャック事件を起こしたのを機に作られたものに間違いないという。最初に目にした時「ああ、これがあの空港かと思った」ので特に印象深く覚えている、それ以前には見た覚えがないとおっしゃるのです。
 以来、切手展や即売会でゴミ扱いの雑品を漁るつど、この台紙を気にかけていますがまったく目にしません。例の証言が本当なら風当たりも相当強かったであろうし、そんなに大量生産されなかった可能性があります。そもそも、切手自体がごくありふれたデザインでおよそ魅力的とは言い難く、セールス的にうまくいかなかったのではないかと思います。
 当時の切手業界は素性の知れないあやしい連中が暗躍していましたので、反日をネタに糊口を凌ごうとした反社会集団による所業だという仮説も聞こえてまいります。いずれにせよ、国辱的な事件に便乗してのかくも破廉恥な(可能性の極めて高い)切手オマケを珍としたくはないものの、フィラテリストは確固としてシニカルに対峙すべきものですから、あえて暗黒面をご紹介することといたしました。

The Dark side of the "Cheap Souvenir Stamp Pack (CSSP)"
   When 1960-70, a stamp boom happened in Japan. That time a cheap stamp pack was made in large quantities at every great special events such as international expositions. These were product for amateurs, not for philatelists. I called them "Cheap Souvenir Stamp Pack (CSSP)".
   The most suspicious CSSP item is "the openings of DUBAI int'l airport". Two pieces of airport completion commemorative stamps are stopped by hinge on a cardbord (13*19cm). The stamp dealer who found this, he said a unbelievable testimony. He says It was opportunity made by, when Japanese Red Army caused a Dubai Japan Airlines airplane hijacking case (July 20, 1973). I don't remember that I watched this CSSP before it. Most Japanese didn't know the Dubai International Airport until that disgusting case happened. If his testimony is true, this CSSC is the worst case of Japanese philatelic business history.
   Most west side country's social conditions tended to the left. Japan was not the exception, too. Because there were many foreigners with the anti-Japan thought residing in Japan in the then stamp industry of Japan, it is very likely that it is their act. I demand positive testimony. A product was how much, and who sold how long when?. [Tetsutaro Sugiyama]

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Comments

西本さん はじめまして。事件前に既に世に出ていたとの新証言ありがとうございます!。では誰が一体何のために中東の(日本では)無名な国際空港の台紙を作ったのか、より踏み込んだ部分が気になりますね。

Posted by: すぎやま | October 10, 2011 at 07:09 PM

この台紙が世に出たのは、ドバイ国際空港日航機ハイジャック事件より以前です。うちにもこの台紙が2枚程あるかと思います。ただで誰かにもらったと思いますが、詳細は不明です。デュバイという地名がしっかりと記憶に刻み込まれました。73年7月はケンブリッジで英語のサマースクールに参加し、8月初めロンドン•ガトウイックからオランダへ日本人数人と飛びましたが、その際、ガトウイックでの出国する日本人の取り調べが異常に厳しく、ハイジャック事件が起こったためらしいと聞こえてきました。オランダで日本語新聞を読み、ドバイと記載されているのに、違和感を覚えました。デュバイと刷り込まれていたからでしょう。80年12月、トランジットでドバイに降りましたが、夜間、煌煌と空港が照らされているのが印象的でした。当時日本は、第一次オイルショックのため節電モードでしたから。

Posted by: 西本正賢 | October 10, 2011 at 06:33 PM

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