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February 28, 2007

まったくソノ気はございません

 郵趣3月号が届きました。福井理事長の「クローズアップ」(巻頭言)で、さりげなく発表されておりますね、郵政民営化に伴ってふるさと切手がなくなることが。ふるさと切手級のテーマは、今後はすべてフレーム切手に収斂されていくのだそうです。
 これで、平成元年から始まったふるさと切手が完結することになり、従いまして「完集」も可能になったわけです。それがきっかけでコンプリートを目指すのもまた一興なのでしょうが、うーん、おいらには関係ないや。

 先週の「北九州切手のつどい」で、なにげに「完集志向はないです」と口走ったら、Hさんに「またまたー!」と軽く冷やかされてしまいました。私が冗談を言っているとでも思われたようです。また、別の方との会話の中で「それ1枚だけ持っててもしょうがないし」という言葉も耳にして、若干の違和感も感じました。なぜなら、1枚だけ持っているというスタイルも全然かまわないと思っているからです。さらにはまた、関西方面には多いとの風聞を聞いたのですが、珍品・稀品だけを集める(それ以外は集めない)コレクターさんというのも実在するとか。このような収集動機の違いというのは興味深いですね。

 もともと切手収集は全世界の切手を完集することが目標でありました。これを「ゼネラル収集」と言います。しかし、これをコンプリートし遂げた人は全世界を見回してもいまだにただの一人もおりません。広義では「完集は不可能」と言って良いでしょう。
 そこで、国を限って集める「国別収集」、鉄道とか花などの図案を決めて集める「トピカル収集」といったふうに細分化された中での完集が追い求められるようになってきたのはご存知の通り。ですから「ふるさと切手を完集する」と言っても、非常に限られた範囲のカッコ付きの「完集」でしかないわけです。ですから、完集にこだわりすぎるのはどうかなと思います。
 収集スタイルから類推するに、「完集」なる概念そのものからして国別収集やトピカル収集など、伝統郵趣的な思考から醸成された「思想」だと思います。1970年代から興ってきた「テーマチク収集」では、「このテーマではここまで集めたらもう限界だ」みたいなことは言われますが「完集」とは言いませんよね。

 私の基準は明快で、「話が面白くなる方がいい」です。完集できないから集めないみたいなAll or Nothingでは話がつまんなくなるので「完集できなくてもいいから集める」→「『完集』なる概念自体がない」→「面白ければ何でもアリ」と、こうなるのですね。完集原理主義思想などは、まったくソノ気はございません。
 ゼネラル収集が廃れて長い年月が経過してしまいましたので、このあたりの収集感覚はなかなかわかってもらえないかもしれませんね。完集などおよそ不可能なのだけれども、昨日よりは今日、今日よりは明日、1枚でも多くの切手を集めよう、という、かつての収集マインドはかなり魅力的なんですが。
 今はなき全日本郵便切手普及協会が昭和47年に発行した「ゼネラル談義」(三島良績著)を読むと、自分の収集スタイルは意外とゼネラル収集に近いんじゃないかと思ったりします。ターゲットは全世界だし。

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